今回は、社会で活躍するOB取材として、株式会社堀場製作所で自動車計測事業戦略室の室長を務められている中村博司さんにお時間をいただきました。中村さんは、フォルクスワーゲンの排ガス問題の発覚に一役をかった車載型計測器の開発にも携わり、現在はグループ会社も含めた自動車計測システム機器部門のリーダーを務められています。

◆中村 博司(なかむら ひろし)

1998年 大阪府立大学 工学研究科 物質系専攻 機能物質科学分野 修了。工学博士。
株式会社堀場製作所 経営戦略本部 自動車計測事業戦略室 室長

本学を修了された後に、社会人としてもう一度研究室に戻って博士号を取得された中村さん。学生時代、研究室で熱い議論を交わした思い出から、社会人になってからの研究開発の苦労など、たっぷりお話を伺いました。インタビューには、ミチテイクメンバーのほかに、中村さんが在籍されていた研究室の後輩学生たち(現代システム科学域 環境システム学類、工学研究科 博士前期課程 在籍)も同行。中村さんに質問の嵐を浴びせました!偉大な先輩から多くのことを教わったようです。

【在学中の思い出 編】

(広報)―中村さんが在籍されていたのは、当時の前田泰昭教授(現 特認教授)の研究室(機能物質科学分野)だと聞いていますが、研究室をどのように選ばれたのですか?

環境にもともと興味があったのと、研究室が自由な雰囲気だったことに惹かれました。自分のやりたいことができる環境があるのではないかと思って入りました。

(広)―研究テーマは「超音波」とお聞きしていますが、具体的にはどのような研究をされていましたか?

環境に近い研究もしていましたが、恩師の前田先生に進められて超音波化学(ソノケミストリー)を研究していました。超音波の研究グループは、放射線科学研究センターという工学部棟から離れたところにいて、あまり目が届かないので遅い時間に研究室に来ても大丈夫、というような雰囲気もありました(笑)

(学生)―研究室の雰囲気は自由な雰囲気でしたか?

そうでした。研究だけではなく、遊びも一生懸命、という雰囲気でした。

(学)―今もそうです。引き継がれていますね。

(広)―府大での一番の思い出を教えてください。

前田先生たちはマラソンに何度も出場していて、よく学内をランニングしていました。府大の農場で当時の彼女といるところを前田先生に見つかったことをよく覚えています(笑)

泉大津の沿道の排ガスや、生駒の山の上のバックグラウンドデータを計測しに行ったりしたこともよく覚えています。私が関わっていたのはその二つですが、飛行機の上で上空の計測をしたり、沖縄に行ったりという作業もあったと思います。今思えば楽しかった思い出しかないのですが、議論するときは真剣に議論しました。当時お世話になった前田先生や坂東先生も、学生たちとしてではなく、ひとりの研究者として扱ってくれているという感じで、とてもありがたく思っていました。

(学)― 一緒にマラソンに参加されたことはありますか?

大学院を修了する年に先生方に誘われてフルマラソンに参加しました。私は30キロでリタイアしましたけど(笑)

(学)―先生と意見がぶつかることがありましたか?

意見がぶつかるということはあまりなく、ロジカルに議論すれば認めてくれました。反対の意見を言ってはいけないという雰囲気もなく、対等に扱ってくれたことで、とても鍛えられました。始めはそこまで考えていたわけではないのですが、本当にこの研究室を選んでよかったなと思います。1998年に堀場製作所に入ってから、再び研究室に戻り、2004年に社会人ドクターで学位を取りました。良い研究室を出て、良い関係・人脈を作ることができ、とても感謝しています。

(広)―勉学以外にも学生生活は充実していましたか?

部活はしていませんでしたが、アルバイトは幅広くしていました。塾講師からピザの配達まで。他の学部も含め同期で今も付き合いのある人もいますが、一番つながりが深いのは研究室の皆さんです。研究室の人は同期だけでなく、先輩、後輩とも付き合いがあります。

(広)―受験のときは他の大学も検討されましたか?

考えました。その当時はC日程と言っていましたが、府大は日程が違ったので受験しました。第1志望ではなかったですが、倍率も高かったので入れたらラッキーと思っていましたので、合格したときは嬉しかったです。社会人ドクターのときも他の大学も選べましたが、府大に行こうと決めていました。

実家が大阪から遠かったので、大学時代は下宿していました。社会人ドクターのときは既に結婚していましたので、平日は京都で仕事をして、土日は大阪の研究室に通いました。

(広)―「府大で学生生活を送って良かったなあ」と思う点は何かありますか?

研究室で先生や先輩と巡り合えたことが大きいです。先ほども言いましたが、研究者として対等に扱ってもらい、議論する力を身につけけることが出来たことも大きいです。今でも財産になっています。

【社会人 編】

(学)―社会人ドクターのときも超音波を勉強していたのですか?

そのときは違いますね。堀場製作所では、現在は開発を離れてもう少し事業企画やビジネス全体の責任を任されていますが、その当時は自動車計測事業という自動車の排ガス計測器を開発する部署で、入社してから13年くらいは開発を担当していました。博士論文のテーマも、車載型の排ガス計測器に関するものでした。排ガスなので議論の展開を持っていけば環境にも繋がりますが、社会人にとって、大学の研究だけで学位を取るというのは難しいです。会社の研究を続けながら、坂東先生と共同で研究や開発をするような形で学位をとらせていただきました。私のことをよく考えてくれた、先生のおかげです。

(学)―社会人ドクターに進もうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

大学で研究し、会社でも開発に関わっているのであれば、学位を最後まで取っておきたいという気持ちを個人の目標として持っていました。それで会社にお願いして大学に行かせてもらいました。もともと就職するか、大学院に進んで学位をとるか悩んだこともあり、そのときは「一度働いてみて、それでも気持ちが続いていたら学位を取ろう」と思っていました。アメリカに赴任する話が出たときに、学位を取るなら今のタイミングだと思ったので、先に学位を取らせてもらってから赴任することになりました。

(広)―堀場製作所は、そういうことができる環境だったのでしょうか。

そうですね。当時の上司は、過去に社会人ドクターを取っている方で、相談したときもがんばれと応援してくれました。また、会社の社風として自分達のやりたいことはやらせてくれる雰囲気があります。チャレンジすることに対しては周りも応援してくれます。

(学)―社内に、他にも社会人ドクターを取った方はいますか。

数多くはないのですが、何人かいます。自分の部下にもいましたが、自分も学位を取らせてもらったので応援したいと思っていました。彼の指導教員の先生に会ってご挨拶したこともあります。チャレンジを応援するという良い雰囲気は受け継いでいきたいと思います。

(広)―よい雰囲気を受け継いでいくというのは研究室時代と同じですね。

昔の雰囲気が変わってないと聞いて嬉しいです。これからも受け継いで欲しいと思います。

(広)―堀場製作所と大阪府立大学の間には、創業者の堀場雅夫さんのお父様である堀場新吉さんが本学の元学長というご縁があります。就職先として堀場製作所を選ばれた理由を教えてください。

そのことは就職するときは全然知らず、就職してしばらくたってから知りました。年に1度、従業員に与えられる特別賞の中に、研究職に与えられる最高の賞として堀場新吉賞というのがあります。私も2012年度に受賞しました。

たくさんの会社を受けたわけではありませんが、大きすぎる企業ではなく、やりたいことができる中堅の会社で、環境をプロモーションしている会社に行きたいなと思って選びました。

(学)―実際に入社された後も、自由に仕事ができるという印象は変わりませんでしたか。

堀場製作所の特徴でもありますが、大量生産をしているような会社ではなく、ニッチな領域で特殊な製品を作っています。多品種で少量の生産をしているため、従業員の数と同じくらい今まで売り出した製品があります。そういう意味では一人ひとりに任されるタスクの幅が広いです。入社して1年目でトラブルの対応で海外に行きましたし、2年目にはひとりで行きました。やる気のある人間は活躍できる場所です。

(学)―大きな会社は自由にできないのでは、というお話がありましたが、社会人になってどう思われましたか?

堀場製作所も私が入ったときから3倍くらいの規模になっています。大きな会社でも自由にできる雰囲気を持っているところがあるのではと思います。堀場製作所を選んだのは、前田先生が薦めてくださったのもありますね。

(広)―今は開発からは離れられているのですか?

事業全体に責任があるので、開発以外の営業やサービスなどもありますが、開発の企画というところで今でも関わっています。メーカーはものづくりを知っている人間じゃないと企画をしていくのが難しいので、技術系出身のメンバーも多く事業担当に入ってきています。

(広)―堀場製作所の計測器がフォルクスワーゲンの問題の発見に寄与したと報道されていますが、 お話になれる範囲で、開発の苦労話などお聞かせいただけますか?

「堀場製作所がフォルクスワーゲンの不正を見破った」という誤解を与えるような報道が出ていましたが、堀場製作所は計測器を製作しているメーカーで、実際に計測器を使って発見したのは大学の研究機関です。我々自身が何かを見つけ、判断したわけではありません。

10年以上前に、研究用途で開発用大気モデリングのベースになるようなデータを採取するために車載できる分析器を開発することになりました。それまで大きな組織にいたのですが、突然たった独りでの開発がスタートしました。

売り先が明確だと営業からのフィードバックもあるのですが、当時は市場も明確ではなかったためどんなものが要求されるかもわかりませんでした。手探りでコンセプトから企画まで、どう売っていくかということも自分で考えてなくてはいけなかったのが大変でしたね。ただ、勉強にもなりました。開発部にいるからといって開発して終わりというのではなく、お客さんに届けるまで自分が担当すべき仕事がたくさんあるということを学びました。場合によっては開発者が出て行ってお客さんに説明することも必要です。

(学)―商品が完成したときは、思っていたとおりのものが出来た、あるいは最初のイメージと違うものができた、どちらの気持ちでしたか?

一応思っていたとおりのものが出来たと思います。「もっとコンパクトにしなくては」「もっと消費電力を落とさなくては」等、開発の途中で見えてくることもありました。気づいた点を活かして、その後もシリーズで新しい商品をつくったりもしました。2012年に初号機を発売しましたが、フォルクスワーゲンの問題とは関係なく、新しくヨーロッパで車載計測器を使った規制も始まりました。これまで取り組んでいたことが注目されることになり、嬉しく思っています。

(学)―実験が全然上手く行かず、自分の研究がとまったりすると、僕の場合はやる気がすごく落ちてしまって、一旦部活に打ち込んでみたり、波のある研究活動をしています。中村さんはそんなとき、どうされていますか。

実際には上手くいくことばかりではなくて、失敗することのほうが多いですね。性格的なこともあるかもしれませんが、「答えがないものはない」という気持ちはいつも持っています。失敗するのは仕方がないことです。私の中でいつもこだわっているのは、失敗するまでのプロセスの中で研究者として、学生として、社会人として、考え方を持ち、迷いながらも自分で判断できているかということです。小さな判断であったとしても、AとBの選択肢からなぜAを選んだのか自分の言葉で自分の意見を述べられるかということです。後でそのときは間違った判断をしたと思っても、こだわりを持って判断を続けていけば、そのこだわりを修正することができます。失敗は経験になると言いますが、何も考えないで選択をしても経験にはならないかもしれません。研究だけに言えることではなく、何度か積み重ねていくと自分の選択肢も広がり、失敗が次に繋がっていくと私は思っています。

(学)―選択肢という意味で、製品を開発するときに、正確さやコスト等、色々考えなくてはいけないことがありますが、どれを一番重要視していますか。

結局はそれも製品によると思います。繰り返しになりますが、なぜそうしたのかと営業やお客さまに言われたときに、自分の意見を言えるかということです。ちゃんと意見を持って製品を作っていると相手が思ってくれると、信頼してくれるようになってきます。自分の意見を持たずに人に言われたからとか安かったらいいでしょうとかいう人は信用できないですよね。

(学)―自分の意見を持つという考えは学生のときから持っていましたか。

先生とのディベートの中で身に着けていたかもしれませんね。当時からそう思って意識的に出来ていたわけではなくて、私も後輩に喋る機会が増えてきて、自分の考えを整理できるようになったのだと思います。

(広)―大学時代に培ったことが生きているなあと思うことはありますか。

企業の説明会等で、大学での研究とそのまま直結した仕事を最初はみんな探そうとしたり、逆に大学で学んだことが会社で活かされないかもしれないと不安になったりすると思いますが、本質的なことをどれだけ大学時代に先生も巻き込んで一緒に議論できるのかということのほうが重要です。研究の内容が多少変わったとしても、取り組み方やものごとの考え方は普遍的なもので、あまり研究内容にこだわるというよりは、いい社風をもった会社を選んだほうがいいと思いますよ。

【後輩へのメッセージ】

(広)―学生の時と今とで、「研究すること」「学ぶこと」への意識に何か違いは出ましたか。

基本的な研究の取り組みと言うのはあまり変わりません。企業に入ると技術的なアウトプットだけではなくて、お客様の視点だとか、周りとの関わりが増えてきて、幅を広げた視点が必要になってくると思います。そういう幅広いチャレンジの可能性が増えてきます。

(学)―僕も自分なりのこだわりを持って先生と議論をしたとき、負けたなと思うことがあります。議論と研究以外にこれをやっておいて良かったと思うことはありますか。

超音波というニッチな領域の研究だったので、そこだけにフォーカスした論文はたくさん読みました。40、50年前の論文を工学部の昔の図書室に探しに行きました。先生に勝とうと思うと普通に戦っても無理で、ここだけは負けないぞという領域を作ればいいと思います。

(学)―学部時代に英語をすごく勉強したのですが、外国の方と話していると英語以外の力が求められているのかなと思いました。

それは会社に入ったときに思いましたね。学生時代は論文を書いたり読んだりはしていましたが、外国の方と喋る機会というのはあまりありませんでした。会社はただ英語を喋れるというのではなくいかに自分の考え方を持って、アウトプットを出してくれるのかということを期待しているはずです。ここはグローバルでも負けないというところを持っていれば、たとえ言葉が片言であっても聞いてくれるはずです。そういう領域を持つほうが大切だと思います。

(学)―これからの目標はありますか。

今は大きなタスクを与えられています。堀場製作所はグローバルに事業展開している会社なので、自動車計測事業のグローバルなセグメントを統括していくセグメントリーダーを任されていて、京都の本社だけではなく海外事業を含めた全てのグループ会社の自動車計測事業のトップとして、そのビジネスを次にどうやって成長させていくのかということを日々考えながら働いています。関連部署だけで2500人くらいはいますかね。

(広)―最後に、大阪府立大学の学生にエールをお願いします!

学生のときにしか出来ないことはたくさんあると思うので、研究も大事だけど遊びも、これは誰にも負けへんというくらい真剣に取り組んでください。そうすればきっとその後の人生にも活かされると思います。

―取材を終えて―

<工藤匠一郎/現代システム科学域 環境システム学類環境共生科学課程 4年>
実際に自分の研究室を出た方が、素晴らしい研究成果をもってご活躍されている姿を見て自信につながりました。また、堀場製作所が社員に与えている環境の良さも素晴らしいと感じました。自分も同じように会社、仕事に自信をもって働く人になれるようこれからもいっそう努力しようと思いました。

<秦野健司/現代システム科学域 環境システム学類環境共生科学課程 4年>
お忙しい中お時間を割いていただき、仕事に関することから大学生活についてまで先輩として様々なことを教えてくださり大変参考になりました。

<北田耕大/工学研究科 博士前期課程 2年>
府大、研究室の大先輩である中村さんにインタビューし、活躍を知ることで中村さんを尊敬したのと同時に、自分もいつか世界で活躍できる人間になりたいという意欲がわいてきました。

<長野 将吾 MICHITAKER’s/工学研究科機械系専攻 博士前期課程 1年>
短い時間でしたが、取材を通して中村さんの研究や仕事に対する信念が伝わってきました。特に「小さな判断であったとしても、なぜその選択をしたのかを自分の言葉で述べること」という言葉には非常に共感できました。自分も短い学生生活の中で一つ一つの判断を慎重に、かつ大胆にしていきたいと思います。

【取材:遠藤 正章、玉城 舞(広報課)】
【取材日:2015年12月25日】※所属・学年は取材当時