2017年1月20日(金)、I-siteなんばにある「まちライブラリー@大阪府立大学」で第31回アカデミックカフェが開催されました。カタリストは人間社会システム科学研究科の西田正宏教授です。

中世・近世文学を中心とする日本古典文学を研究している先生に「『もの』としての書籍―古典籍をめぐって―」をテーマにお話いただきました。一般的に書籍はその内容が重要だと思いますよね? しかし古典籍(明治時代以前の書写、もしくは印刷された資料)に限っていえば、その外面からさまざまな情報を読み取ることができ、内容と同じくらい重要だと考えられています。

では、なぜ外見が重要なのでしょう? 考古学者が出土物を研究するのと同じで、書籍自体を「物」として外見から比較と観察を重ねることにより、その成立や流布に関わることや、書籍をめぐる文化や社会状況がわかります。それが「書誌学」という学問です。

書名が表紙に直接書かれているのか、それとも書名を紙に書いて貼っているのか。初版と後刷りを比べて、後刷りの方が文字の線がかすれていたり、不適切と思われる挿絵が削除されていたり…。また、印刷された紙の質、書物の大きさや形、1ページの行数など、あらゆる見地から書物を診断して、その出自や時代背景を探ります。

 

本来、古典は書き写されて広まってきました。これを写本といいます。写本は同じ内容を伝えていても、書き写した人物による注釈が入るなど、全く同じとは限りません。中世頃までは写本が主流でしたが、江戸時代、特に元禄期に書籍の印刷・出版が一般化され、多くの人々の手に渡るようになります。これを刊本(版本)といいます。

「古今和歌集」を例にとると、しっかり勉強するための大判サイズから、着物の袖に入る携帯版まで、同じ内容でも用途に応じたサイズで販売されていたことも。書物によっては、購入の機会を増やしたり、検閲の眼から逃れるために、オリジナルとは異なる書名をつけることもあったそうです。現代でいう出版社の販売戦略が、江戸時代に行われていたことに驚きです。

商品としての書籍が当たり前のように流通し、パソコンやスマートフォンなどでも読める現代、書物の外見に注目することはほとんどありません。しかし身近な書物、特に古典がどのような変遷を経て、現代まで受け継がれてきたのか? そのプロセスを想像する楽しさを教えてくれた貴重な時間でした。

【取材日:2017年1月20日】※所属は取材当時