環境システム学類 社会共生科学課程の講義レポートとして、酒井隆史教授の「社会構想の文化史」を取材しました。酒井教授は現代システム科学域環境システム学類 社会共生科学課程の研究教育活動を主に担当、専門は社会学、社会思想で、2012年には新世界界隈の人や街の移り変わりから社会を見つめた著作「通天閣 新・日本資本主義発達史」が第34回サントリー学芸賞を受賞された教員です。

今回の講義は「海賊ユートピア」と題して海賊に焦点をあて、ジョリー・ロジャー(ドクロと交差する骨)の旗印のもと、死を笑い飛ばす陽気な無法者という像で長くイメージされてきた、いわゆる「海賊像」はどういうルーツだったのかを紐解く内容でした。

以下、講義エッセンスを抜粋していきます。ぜひとも社会学の講義の一例としてご参考ください!

海賊研究がどんどん進んでいく中で、私たちがイメージするジョリー・ロジャーの旗印のもと「死」を笑い飛ばす陽気な無法者の海賊は、今までいた社会から逃げてきた人たちが理想的な社会を何とか築こうと、一度だけの「生」を短く太く生きがいのあるものに輝かせようとした人たちの営みであったということが明らかになりつつあります。

1980年代にそのブレイクは起こりますが、今日はその中から、アメリカの歴史学者マーカス・レディカーの『海賊たちの黄金時代—アトランティック・ヒストリーの歴史』、ピーター・ランボーン・ウィルソンの『海賊ユートピア』などの研究書を手かがりに、話を進めてみたいと思います。

マーカス・レディカーは著の中で、「私たちが海賊を愛するのは、彼らが反乱者、すなわち、みずからの階級的支配者に抗することを厭わず、人種や民族の分裂を乗り越えようとする『高い理想を持った卑しい者たち』であるからです。すべての民族からなる男や女たちが、彼らの空想や闘争の中で海賊の虜になっています。」と述べています。

一方で、National Geographicのインタビュー(2014.09.03)では、「ジョニー・デップが演じた「カリブの海賊」のような、ハリウッドの作り上げた海賊のイメージは、実在した海の無法者たちの豊かな歴史とはかけ離れている」と答えています。

また、世界がどのようにつながり大陸と大陸がどのように交流していたのかを理解するには、そのつながりを築いた船と乗組員たちを理解しなければならないと述べています。例えば「ストライキ」の語源は、船乗りから始まったものなのです。1768年にロンドンの港で賃金カットがされた際、船乗りたちは船の帆を降ろしてまわりました。この「帆を降ろす」to strike the sailsが「ストライキ」の語源と成りました。

アメリカの独立戦争の原因の一つも強制徴募(強制的に陸軍または海軍に兵士として徴用すること)に抵抗した船乗りにあり、彼らは自由の名の下、圧制と戦っているのだと訴え、仲間を取り戻すために戦いました。「liberty(自由)」には、船員が港に上陸する際の「上陸許可」という意味があります。こうした船乗りたちの反乱は、サミエル・アダムスのような重要人物にも影響を与え、独立宣言に謳われている「全ての人間は平等に作られている」という考えを築く下地となったのです。

このように船乗りは、この時代の偉人たちにも影響を与える存在でした。

次に、海賊のイメージを見ていきましょう。海賊が活躍したのは長く見ても17〜18世紀のたった100年くらいの間です。ですが、当時も民衆のヒーローであり、現在も「フック船長」「キャプテンハーロック」「ラピュタのドーラ」そして「ワンピース」などなど、様々な物語とキャラクターで人々に愛されています。

これらキャラクターを見ると片腕、片足、片目であるという設定が多いですが、実際にそういう人が多かったからです。それだけ海の労働は過酷であったことがわかります。スティーブンソンの「宝島」にシルバー船長という海賊が出てきますが、彼も片足がないのですが船長になっています。これは当時、体のハンディキャップよりも能力を重視していたことの表れです。

また、海賊には掟がありました。一例を紹介すると

  • 肩書き付きの船員の選出については(芸術家などの例外を除き)すべて選挙
  • 船長は選挙、その分け前はヒラの船乗りの1.5倍か2倍
  • 身体刑は禁止、(高級船員とヒラの船員の衝突も略式裁判あるいは決闘法で解決)

海賊というのは商船や海軍艦で働いていた水夫たちで構成されていました。商船や海軍艦での労働は「貧弱な食事」「暴力的な規律」「低賃金」「早すぎる死」という、非常に過酷なものでした。

だから彼らは海賊となり、海賊船の上で逆の世界を作ろうとしていました。海賊たちは、指揮官を自分たちで選び、掠奪品を平等に分配し、船長の権力を制限し、多文化的、多民族的で反民族的ですらある社会を維持していました。また、彼らは独自の社会保障制度を創出していました。健康、安全、保障についての条項を掟の中に組み入れ、掠奪品の一部を「共有資金」として視力や手足を失うなどの癒えることのない傷を負った者に支給する制度を作っていました。

海賊たちは「自ら選択する権利」として、船とその小規模な社会を組織する自治権を手にすると、彼らが近世大西洋世界の商船、軍艦、さらに私掠船において経験したよりも望ましい社会を作り上げました。これは当時、労働する民衆が夢想したかのようなユートピアに近かったのです。

中世から近代にかけてヨーロッパの体制が安定してくると、海賊たちを排除するようになります。そうなると海賊たちは国家から離れ、わずか10年間ですが本当の意味での黄金期を迎えることになります。海賊の栄枯盛衰はヨーロッパが不安定から安定に向かうまでの一瞬の火花のようなものだったのです。

不安定な時代に生まれたものがその後、人間の心に取り付いてやまないということは、よくあることです。それは社会の何かが固まる前の「夢」のようなものを体現しているからです。固まってしまい、以前可能だった何かが不可能になった時に、初めてそのポテンシャルに気づくのが人間の心です。人はもっと自由に、もっと楽しく生きられたのではないかと夢を託し、幻想も含めてどんどんと膨れ上がっていきます。それが長きにわたる海賊の魅力の源泉になっていると思います。

【取材:広報課】
【取材日:2017年7月11日】※所属・学年は取材当時