2018年8月31日(金)、I-siteなんばにある「まちライブラリー@大阪府立大学」でアカデミックカフェが開催されました。カタリストは生命環境科学研究科 応用生命科学専攻の乾 隆教授。テーマは「医療の未来を担うドラッグ・デリバリー・システム」です。
日本におけるがんは1981年以降、死因の第1位となり、総死亡数の約3割を占めます。がんの治療法には、外科的手術、放射線治療や化学療法があります。化学療法で用いられる抗がん剤は正常な細胞にも作用するため、免疫細胞の減少や吐き気、内臓機能の低下といった副作用が起こる場合があります。
抗がん剤開発における問題点の1つは、発見される抗がん剤候補化合物の多くが難水溶性、つまり水に溶けにくいこと。溶解性の改善を試みると、抗がん活性が低下し開発段階でやむなく脱落することが多々あります。
何とかその問題を解決できないだろうか――乾先生は、生体内にあるタンパク質(難水溶性分子を輸送できる)による薬剤輸送が可能になれば、創薬開発から脱落した難水溶性薬剤の再開発が可能になるのでは?と考えています。それが、先生が研究を進めている「ドラッグ・デリバリー・システム(以下DDS)」です。DDSは医薬品の効果を最大限に発揮させることを目的とした薬剤送達方法。必要量の医薬品を必要な時間、目的とする臓器、組織、細胞へピンポイントに届ける技術です。
乾先生は、人の体内で働く輸送タンパク質「L-PGDS(リポカリン型プロスタグランジンD合成酵素)」に着目。サイズや化学構造が異なるさまざまな種類の生理活性分子を内部に取り込んで(コンパクトパッキング)、水に溶かすことができる性質のあるこのタンパク質が、人工的に合成された薬剤を運ぶDDSとして有望だと考えました。
脳で働く薬を内包したL-PGDSをマウスに注射する実験では、可溶化された薬が脳に到達して薬効が現れることを確認しました。脳には有害な物質が血管から脳へ運ばれないようにする仕組みがあるため、薬を注射しても脳の細胞へ到達できない場合があります。そこでL-PGDSに通過できるよう工夫を施し、脳内に到達できるキャリアの作製を行っています。またL-PGDSは口から飲む経口投与用DDSとしても優れた効果を発揮します。胃では分解されず、腸に届いて分解され、放出された水に溶けにくい薬が効率的に体内に吸収されることが確認されました。
DDSの主要な要素としては、薬剤浸透・吸収の改善による難水溶性薬剤の可溶化、標的部位への指向性、開閉可能なカプセル化による薬剤放出の制御が挙げられます。期待できる効果は、副作用が少ないので患者の負担が軽減し、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)向上に貢献できる新しいがん治療が可能になります。薬効の増強、副作用の軽減、医療費の軽減、新薬開発リスクの低減、脳腫瘍や膵臓がんなどの難治性がんの治療にもつながります。
乾先生の最終目標は、L-PGDSを抗がん剤用のDDSとして実用化すること。薬をがん細胞まで到達させることは現在でも可能ですが、輸送途中で薬が漏れると、副作用の原因や治療効果の低減につながります。しっかり薬を保持したままがん細胞までたどり着き、薬を放出して作用させること。その研究を学生たちと日々重ねています。「学生たちには“責任はあるけど、研究は楽しみながら”と指導しています」と話されていました。
新規薬品開発には、私たちの想像をはるかに超える時間やコストが必要です。先生自身L-PGDSをDDSとして利用する研究を本格的に始めたのは2005年でした。「私の定年まであと9年、それまでには臨床応用まで持っていきたいですね」。患者さんが前向きな気持ちでがん治療に立ち向かえるために必要不可欠なDDS。1日でも早く実現する日がやって来ることを願うばかりです。
【取材日:2018年8月31日】※所属は取材当時。