日本から飛行機やバスを乗り継いで約30時間。地球の反対側にあたるチリ共和国のアルマ天文台に赴任され、在住9年になる浅山信一郎さんにお話を伺いしました。
浅山信一郎(あさやま しんいちろう)
2001年 大阪府立大学大学院博士課程 転入
2004年 国立天文台
2009年 チリに赴任 現在に至る
チリ観測所(国立天文台)
https://www.nao.ac.jp/research/project/chile.html
―大学進学時、なぜ大阪府立大学を選ばれたのですか?
修士時代は別の大学で電波天文学を専攻し星形成の研究に取り組んでいたのですが、世界をリードする最高の観測をするには最高の装置が必要なため、電波天文学用受信機開発にも取り組んでいました。
天文学の分野では、新たな観測装置の出現、および技術革新による望遠鏡性能の向上が行なわれるごとに画期的な発見が行なわれてきた歴史があります。私は既存の宇宙観を一新することができる観測装置の開発に魅力を感じ、電波天文学用超高感度超伝導受信器の第一人者である小川先生に師事するために、大学院博士課程から転入しました。
―大学ではどのような研究をされていたのですか?
当時日本が参加を検討していた国際大型プロジェクトである、アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(Atacama Large Millimeter/submillimeter Array: ALMA)計画で日本が担当する受信機の研究開発を行いました。研究では、アルマ計画のミリ波受信機の心臓部である、ミリ波帯超伝導サイド分離ミクサの研究開発を行ないました。
開発したサイドバンド分離超伝導ミクサを、当時の大阪府立大学総合科学部2号館3階に設置してあるオゾン観測装置に搭載しオゾンスペクトルの受信に成功しました。この結果は、電波天文学、大気科学を通じて世界初の成果でした。
* * *
―実際に学んでみてどうでしたか
私が小川研究室に入学したときには、小川先生も府立大学教授に着任して間もない時期で、研究室を立ち上げている最中でした。実験室もまだ整備されておらず、博士課程の学生としてほとんどゼロに近いところから、主体的に研究室の立ち上げに参加できたことは非常に重要な経験でした。
また小川先生は学生の自主性を尊重し、私たちのアイデアや活動をサポートしていただきました。自分で考えて主体的に行動し、必要であれば国立天文台等の共同研究先に乗り込んで研究を行うことができたことも良い経験です。
海外の望遠鏡サイトへの派遣や、国際研究会での発表等もサポートしていただき、国際協力研究を行うために必要な経験をさせていただきました。
―現在の道に進んだ理由、きっかけを教えてください
大阪府立大学博士課程での研究開発の成果が認められ、学位取得後に国立天文台に採用されました。
―現在のプロジェクトや役割、仕事内容を教えてください
学位取得後すぐにアルマ望遠鏡バンド4受信機(観測波長 2mm)開発チームのリーダーとして、極限の性能が求められる受信機開発を主導しました。また私自身の研究として、導波管型サイドバンド分離超伝導ミクサの開発および小型偏波分離器の研究開発を行い世界最高感度の検出器を実現しました。さらにその成果を日本のミリ波電波天文学用受信機に還元し、国際水準の受信機に一新することに貢献しています。
2009年よりチリに赴任し、建設中であったアルマ望遠鏡システム評価に従事した後、2011年よりエンジニア部門に移り、サブミリ波帯における安定的な観測を実現しました。現在は東アジアエンジニアリングマネージャとして望遠鏡の保守運用に携わっています。またアルマのアップグレードのために基礎開発も行っています。
―大学で学んだことで、仕事に役立っていることはなんでしょう?
大学院博士課程で行った研究開発が、私の現在の研究活動の原点です。研究室の大気観測装置に自分の開発した超伝導検出器を搭載してオゾンのスペクトルを取るため、観測装置全体を学ぶことでシステムエンジニアリングを経験できました。この経験が無ければ、国際プロジェクトに採用される受信器の設計開発を成し遂げることはできなかったでしょう。
―今になって高校や大学で、やっておけばよかった、考えておけばよかったということはありますか?
国際プロジェクトで一番苦労したことは英語ですね。高校や大学時代は、自分が海外で研究活動を行うことは想定していなかったので。ただし語学は所詮手段でしかないので、必要になってから死ぬ気でがんばれば何とかなりましたが。とはいえ国際化が進む中、私のように海外で研究活動を行うことは増えてくるでしょうから、語学力を若いうちから鍛えておくことは良いかと思います。
―今後の目標や夢はありますか?
現在アルマのアップグレードプランの議論が進んでおり、また複数の次世代国際大型望遠鏡計画も進んでいます。次世代の天文学の扉を開く新たな観測装置や望遠鏡システムの研究開発に主体的に関わっていくことが当面の目標です。
―現在、進路を考えている受験生にメッセージをお願いします
高校時代、私は理論物理をやりたくて大学は理学部物理学科に入学しました。しかし理論研究が性に合わず、修士課程では観測電波天文学を得て、大学院では装置開発に移って、気がついたら今は日本から見て地球の裏側まで来てしまいました。やはり何事もまずは経験しないと、自分に向いているかどうかは分からないものです。若いうちは失敗してもいいので、興味があることがあれば深く考えずにチャレンジしてみてください。
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日本におられた頃は、ほとんど旅行へ行かなかったそうですが、チリに赴任してから旅行が趣味になったそうです。おもに南米各地へ出かけられ、壮大な風景で有名なユウニ塩湖や遺跡を眺め、現地特有の動植物もたくさんご覧になったとのこと。
職場では主に英語を使用し、日常生活ではスペイン語と使いわけながら、次世代の天文学の扉を開く、今後の開発プロジェクトも期待です。
【取材日:9月6日】※所属は取材当時