バイオサイエンス・バイオテクノロジー分野で活躍できる人を育てる生命環境科学域。多様な生命現象や生命機能を解明して、それを社会に役立てるための「学び」と「研究」の日々に出合えます。
社会の健康を維持・増進するため、分子栄養学の視点から様々な栄養素の代謝を研究する食品代謝栄養学グループ。「男性ホルモンと疾患の関わり」というテーマに取り組んで農芸化学奨励賞(※)を受賞した原田 直樹講師をお訪ねし、その研究内容や研究する喜びについてお聞きしました。

※ 農芸化学分野の基礎及び応用分野の進歩を図る日本農芸化学会が、優れた研究に対して贈る賞です。

原田先生の写真

●教員プロフィール
原田 直樹(はらだ なおき) 応用生命系 講師
担当学域等:生命環境科学域・生命環境科学研究科
研究分野:食品科学・代謝学・応用分子細胞生物学
担当授業:代謝生化学・生体成分実験

―原田先生のご経歴と共に、所属されている食品代謝栄養学グループ全体の研究テーマを教えてください。

説明する原田先生の写真私は1998年に大阪府立大学農学部(当時)に入って応用生物化学を専攻しました。この分野を選んだのは、生物が恒常性(環境の変化に応答して生存を維持する機能)を保つ仕組みに興味があったからで、4年次にはこのテーマに取り組んでおられた中野長久先生の研究室を選択し、この出会いが私を研究者の道へと導いてくれました。

恒常性は生物にとってきわめて大切な働きで、体温上昇や食事の摂取などにより体内環境が変化した際、それを元に戻そうとする機能ですが、なんらかの原因で万全に働かなくなると健康がそこなわれます。「栄養学に基づく健康増進」を目指す私たち食品代謝栄養学グループの共通テーマは、人間がもともと持っている恒常性維持機能を食品によって保ち、高めること。色々な栄養素が生体機能におよぼす影響を分子栄養学の視点から探求し、そのメカニズムを解き明かすと共に、どんな食品をどう摂れば健康寿命を長く保てるかの解明にも取り組んでいます。

―そのなかで、先生は男性ホルモンの働きにフォーカスされていますね。

きっかけは学部生時代の卒業研究でGAPDH(ギャップ・ディーエイチ)という解糖系酵素が秘めた「未知の働き」を探ったことです。院に進んでからもこのテーマを継続するうちに、GAPDHが前立腺がんの進行と深く関わっているのに気づいて、個人的な研究テーマを「男性ホルモンが関わる疾患」へと絞り込みました。ご承知のように男性ホルモンは加齢に伴ってだんだん減少します。それがメタボリックシンドロームや2型糖尿病等の生活習慣病につながることは広く知られていますし、最近では男性ホルモン減少が原因とされる「男性の更年期障害」への関心も高まっています。では、これらの疾患に男性ホルモンはどんな役割を果たしているのか。そのメカニズムにはまだまだ謎が多く、私はそのいくつかを分子生物学的に解き明かしてきました。

―2018年度の農芸化学奨励賞を受賞された「生体制御におけるアンドロゲン(男性ホルモン)シグナリングと食の相互作用に関する研究」もその一環ですね。

この研究は(1)「男性ホルモンの作用によりDNA情報がRNA(リボ核酸)に転写されるメカニズムの解明」、(2)「前立腺がんの進行と男性ホルモン受容体の関わりの解明」、(3)「メタボリックシンドロームと男性ホルモンの関わりの解明」の3テーマから成ります。(1)は前述のように卒業研究の延長といえるもの。前立腺がんの発症に伴ってGAPDHという酵素が増えることは以前から分かっていましたが、なぜ増えるか、どう機能するかは未解明でした。

説明する原田先生の写真私はそれが知りたくて、培養した前立腺がんの細胞に存在するGAPDHを増やしたり減らしたりして、がん細胞の増殖中に男性ホルモン情報による転写の様子を観察。その結果、予想した通りGAPDHが転写共役因子(RNAへの情報転写作用を強める因子)としての役割を担っていて、これが増えることで前立腺がんが進行するという関係性を明らかにしました。

男性ホルモンの情報は受容体と呼ばれる蛋白質が受け取って、RNAに伝えます。その際、情報を受け取った受容体の転写作用を活性化させるものがGAPDHだったわけです。この関係性が明らかになったことは、前立腺がんの予防や抑制のひとつのヒントになるでしょう。

―その成果をベースに、異なる視点から前立腺がんを抑制する研究に取り組まれたのが(2)ですね。

前立腺は男性ホルモンと深く関わる臓器で、前立腺がんも影響を強く受けるため、精巣を取り去る治療やテストステロン(男性ホルモンの一種)の分泌を抑える治療が行われています。ところが、これらの治療を施しても症状が進行する場合があり、「去勢抵抗性前立腺がん」と呼ばれています。
その発症メカニズムを解明したい。こう考えた私は、まず前立腺がんの細胞を男性ホルモンが入った状態で培養し、次に男性ホルモンを抜いてみました。すると大半のがん細胞は死滅したものの、死滅せずに再び増え始める細胞も出現しました。詳しく解析すると、男性ホルモンが結合するC末端の男性ホルモン結合領域が欠けた受容体が発生していたのです。

この受容体は男性ホルモンの情報を受け取れないのに、不思議にもRNAへ情報を転写する機能が残っていました。つまり、男性ホルモンがなくても転写活性因子として機能するわけで、この発見によって「なぜ精巣除去後にもがん細胞が増えるか」の分子生物学的なメカニズムが分かりました。

説明する原田先生の写真男性ホルモン受容体のC末端領域が欠ける原因は、これまで「遺伝子レベルでの発現様式の異常」だと考えられていましたが、その他に「蛋白質を切断する酵素の働き」が関係するメカニズムがあることも解明できました。酵素による蛋白質分解を邪魔するとC末端領域が切断されないなどの実験結果でそれを証明できた点でも画期的だと自負しています。では、どんな食品がC末端領域が欠けた受容体の転写作用を抑えられるのか。それも知りたくなって、前立腺がん進行抑制効果があるとされるポリフェノール類を色々と試した結果、ブドウに含まれるレスベラトロールというポリフェノールに到達。私たちの研究室では前立腺がんの細胞を移植したマウスにこれを食べさせる実験を行い、細胞増殖の抑制効果を確認できています。

―去勢抵抗性前立腺がんの患者さんを救える道がひとつ増えたわけですね。

研究者の社会的使命を考えれば、医療機関等との連携を通して現実の治療に役立てる道を探るべきなのでしょうが、すぐにそこまではできません。しかし、レスベラトロールという化合物の有効性を社会に提示できただけでも、意義は大きいと考えます。

―メタボリックシンドロームに関する研究内容を教えてください。

説明する原田先生の写真男性ホルモンの低下が本当に肥満や2型糖尿病発症の原因なのか。栄養摂取とはどう関わるか。それを知るため、去勢したマウスと、遺伝子的に男性ホルモン受容体を働けなくした“ノックアウトマウス”の2種に高脂肪食を与え続けました。すると、どちらのマウスも腸内細菌の構成が変化。ある種の乳酸菌が増えたほか、乳酸を産生する細菌も増えたのです。

そして、マウスたちは「餌の摂取が減ったにも関わらずメタボな状態」になってしまいました。〈通常体重より5グラムも肥満化する〉、〈脂肪肝を発症する〉、〈血糖値が上昇する〉。これらはどうも腸内の変化と関係しそうです。いま分かっているのはそこまでで、今後は腸内変化のメカニズムを解明していきたいですね。
また膵臓のβ(ベータ)細胞からのインスリン分泌不全が原因とされる2型糖尿病については、去勢したラットではβ細胞が3分の1まで減ることが分かると共に、それが男性ホルモンの補充によって回復することも確認できました。

―膵臓β細胞の機能を維持できるS-エクオールという食品も発見されています。

S-エクオールは大豆由来のダイゼインというイソフラボンが腸内細菌によって変換されたもので、すでにある製薬会社がサプリメントして商品化していますが、私達はβ細胞の働きを特異的に強める働きがあることを見つけました。

私たちの共通テーマ「栄養学に基づく健康増進」に関しては、解明すべきことがまだまだ多く、確信をもってお薦めできるのは「腹八分目がよい」という昔からの知恵くらい。また男性と女性では異なるメカニズムが働くので、食べるべきものも違うはずで、そこにも謎がいっぱい残されています。

筋肉や骨などに栄養を取り込ませ、体内に栄養を行き渡らせる現象をアナボリック(蛋白質同化)といいます。男性ホルモンの一種であるアンドロゲンはこれにも深く関わり、膵臓β細胞の増殖に効くようです。逆に筋肉の分解や異化を起こすカタボリック作用はある種のストレスホルモンが促します。私たちの体内環境はアナボリックとカタボリックが拮抗しあうことで恒常性を保っていますが、ストレス等によってバランスが崩れると、メタボリックシンドローム等の生活習慣病が発症するのです。その回復に男性ホルモンが役立ちます。人体という小宇宙が恒常性を保つ秘密をもっと知りたい。その素朴な欲求が私たちを駆り立てますし、内分泌学(ホルモンの作用)と栄養学を学び、研究する魅力はそこにあるでしょう。

―最後に、将来の研究者を目指す若い皆さんへのメッセージをお願いします。

自分が素朴に「知りたい」と思ったことを解き明かしていけるのが、研究や実験の楽しさです。この「知りたい」という気持ちを大切にすれば、実りある研究者生活を送れるでしょう。私たちの願いは「誰かの健康を支えたい」ですが、分野を問わず、社会の豊かさや幸福に役立てる喜びがあることも、研究者という生き方の魅力です。

【取材日:2018年5月29日】※所属等は取材当時