ヤマハ発動機株式会社の海外拠点で勤務する府大OB、伊澤 悠平さん(工学部 マテリアル工学科卒業)からお知らせを提供いただき、このたびヤマハ発動機の海外グループ企業、
Yamaha Indonesia Motor Manufacturing の社長を務める森本実さん(経済学部卒業)から寄稿をいただきました。

森本さんは現在ヤマハ発動機の執行役員であり、インドネシアの製造販売会社の社長として、世界最大規模の二輪市場であるインドネシアにおける二輪車ビジネスの中心人物として活躍しています。

また2018年には自動車業界における初の最高経営者として「Man of the Year」に選出され、さらに輸出実績による経済貢献でインドネシア大統領から称賛されたそうです。

森本さんのダイナミックな人生や仕事、そして府大生時代の思い出など、現在の学生や受験生にぜひ感じて頂けたらと思います。

 

◆プロフィール
森本 実(もりもと みのる)

森本実さん

出身 大阪府
1983年  大阪府立大学  経済学部  卒業
1983年  K重工業(株)入社 航空機事業本部
1985年  ヤマハ発動機(株)入社
1992年  ドイツ、オランダ(2回)、フランスに駐在
2007年  ヤマハモータードイツ社長(在デユッセルドルフ)
2012年  ヤマハ発動機(株)SPV事業部長(電動アシスト自転車PAS等の事業責任者)
2016年  ヤマハ発動機(株)執行役員・ヤマハインドネシアモーターマニュファクチャリング社長
2019年現在 インドネシア・ジャカルタ在住

 

現在のお仕事関係
――現在ご担当されている仕事の内容をお教えください。
ヤマハ発動機の執行役員として、世界有数の二輪車市場であるインドネシアで二輪車の製造・販売を行っております。複数の関連部品製造子会社を有し、合計1万数千人を超す社員のトップとして、インドネシア製造・販売会社の社長・CEOの立場で日々事業の拡大に挑んでいます。

また、過去にフランス、オランダ、ドイツで合計18年駐在していたので、ジャカルタ駐在の4年を合わせると計22年の海外勤務となります。

ジョコウィ大統領各大臣から賞賛を受ける森本さん

ジョコウィ大統領各大臣から賞賛を受ける

――海外での仕事、生活で思うことは?
人々は母の腕の中から卒業すると、先ず抱くのは移動したいという願望。あの山の向こうに行きたい、あの人に会いに行きたい、職場や学校に通いたい。我々もきっとそうだった。そんな人々の自然な要求を二輪車で実現すべく、素晴らしい製品を適正な価格で提供したいと常に考えています。

発展途上国では二輪車は生活の必需品なので、直接人々に接することが出来ますし、そんなお客様の笑顔を見ているとこの仕事にやり甲斐と誇りを感じます。天職なのかなと。仕事を通してこの国の人々や経済発展に貢献出来ていることも実感。

ただ、生活においては如何に宗教や文化の違いに適応できるか、逞しく生きて行けるかが常に課題ですね、私たちは異教徒の外国人でありマイノリティの立場で、お仕事をさせて頂いています。ただ、2カ月に一回は激しい食あたりに見舞われます。これだけは堪忍して欲しい・・・。

――日々のお仕事で大切にされていることがあれば教えてください。
何をしたいのか、どこを目指したいのかを明確にし、方向感を先ず決めること。そして部下に明確にそれを発信するだけでなく自ら有言実行の姿勢を見せること、そして結果に責任を取る覚悟を決めることに尽きると思っています。すなわち、どんなことでも心を込めて後悔しないように前進することかなと。

でも原則は、自らわくわくすることですね。駐在員には3年なり5年なり与えられた時間には限りがあり、常にカウントダウンのタイマーがカチカチと鳴っています。その限られた期間にこの国や次世代に何を残していけるのだろうか、そんな意識が非常に強いです。

どの世でも10%のリーダーと90%のフォロワーが居ます。リーダーを目指すなら人なら尚更だと思います。

――これまでのご経験が今の仕事に活かされていると感じることがあれば教えてください。
人生には上り坂、下り坂、そしてまさか!と色んなこと起き得ます。話せば長くなるのですが(笑)、私の今までもとても平坦な道のりではなかったのです。府大時代に二輪車で生きて行こうと決め、希望が叶って入社したK重工業。しかし最初に配属になったのは航空機事業。当時会社には突発的な事情が発生し、入社直後に配属が変わりショックが大きかったですね、いきなり挫折感を味わいました。

それでも当時は花形の事業であり、航空工学を専攻した人たちには夢の職場です。奇しくも戦後初の国産ジェット機プロジェクトの担当となり、飛行場で勤務し初号機の実現と当時の防衛庁との交渉が仕事でした。勿論、一介の若造社員に過ぎませんが。石の上にも3年だと自分に言い聞かせました。

ちょうど3年弱後に初号機の初フライトが成功した時、ふと初心に戻るのは今だなと辞表を残し、二輪車の専業メーカーであるヤマハ発動機に転職しました。今までの悔しい思いを晴らすために、営業でも1番になりたい、駐在して世界を舞台にヤマハをアピールしたい、バイクに乗るならプロ級のライダーになるのだと熱い決意をしたことを今でも覚えています。正に怨念ですね。

結果的に欧州に18年駐在し、インドネシアに4年。欧州駐在時代、土日の週末はドイツ、チェコ、オランダを一人キャンピングカーを引っ張って一匹狼の侍のようにレースを転戦し、月曜日の朝は何もなかったかの様に普通に出社することを何年も繰り返しました。結果的には国際A級のレースライダーにまで昇格でき、夢だった鈴鹿8時間耐久レースにも出場、クラス9位という入賞を果たしレース活動は引退。その間に英語だけでなくドイツ語も話せるようになり、更に当時のレース仲間たちは今では雑誌の編集長だったり、バイクの販売店だったり部品メーカーの経営幹部になったりと、思わず仕事の世界や人の輪が広がりました。業界の色々な感覚も磨けました。これは今でもネットワークとして仕事で役立っています。

ただ、尋常でないエネルギーを使ったことは事実で、仕事との両立の完璧を目指していたので満身創痍でした。家族にも心配や迷惑を掛けました。お金も底を尽く直前だったそうです(笑)。

A級レーサーのころの森本さん

鈴鹿8耐レースクラス入賞の経験もあるA級レーサー

バレンティノロッシ選手と森本さん

バレンティノロッシ選手とステージで活躍

こんな話をするときに常に思うのは、自分は何処からきて、今どこに居て、そしてこれから何処へ行くのか、ということです。そんな考え方が他の人よりも強く心の中に育成されていて、自然と仕事でもそれが活きてきます。やると決めたら、強く決意し自分を追い込んで実現するのだと。

また実感しているのは、30代をどう生きたかで、40代、50代、多分60代以降の自分の生き様が決まるのだなと。この経験と仕事は、絶対に一致して来ると思うのです。故に、これからますます経済や人が発展していくこの大国インドネシアで、日本や欧州で自分が経験してきたことや感覚を人々に提案したりお伝えして、若い人を育てて役に立ちたいのです。

また、こんな熱い私を中途で受け入れてくれたヤマハ発動機という会社と当時理解を示してくれた上司の皆さんに感謝で一杯ですしもっと恩返しをしたいと思っています。ヤマハ発動機という会社、大好きです。

――ワークライフバランスをどのように意識して過ごされていますか?
私の場合は、動と静の融合かなと思います。仕事人間には2種類あるかと思います。一つは、給料を得て家族と豊かな生活を実現する人。もう一つは、自己実現のために働く人。どちらも有りと思うのですが、私は明らかにその後者です。好きなことと仕事が一致した段階で、時間が過ぎることも忘れ何時間でも何週間でもノンストップで働いてしまう。しかし、体は正直で最近は疲労を感じることが増えました(笑)。

そんな時は、黙々と映画を何本も観たりクラシックなどの静かな音楽を聴いたり、インドネシアの南国の海辺で本を読んだり何時間も寝てみたり。自分なりに動と静を上手くバランスさせているのかと思います。とにかく一人の時間は、静の中で精神統一をしたい。逆に、今でもサーキットを走ることが時々あるのですが、動の世界に自分を追い込んで気持ちを奮い立たせる時もあります。風邪ひいたかなと思うとバイクで疾走すれば風邪なんか吹っ飛んでしまう、みたいなそんな現象と同じです(笑)。

森本実さん

ポリシーはWork Hard! Play Hard!

インドネシアの選手と森本さん

インドネシアから世界を目指す選手のために

府大時代
――大学進学時、なぜ大阪府立大学を選ばれたのですか?
実は高校時代はガリ勉派で、地方でも良いから国公立大の医学部を目指そうと考えていました。ただ血を見て倒れるタイプ(笑)に気付き、早々に文系に方向を決めました。

そんな中、戦争の影響で普通に大学に行けず自分の給料で働きながら夜間大学を卒業した父が言った言葉が決め手でした。戦争の影響がなければ府大の前身の官立大阪工業専門学校に行きたかったのだと。その時から府大しか考えなかったですね。生粋の大阪府民ですし。府大に合格した日、父が目に涙を溜めて喜んでくれたことを今でも忘れません。父の思いを叶えたのかもと。だから、私は府大卒業生ということに誇りを持っています。

また府大に親のお金で行かせて貰った感謝も。父も海外赴任が16年と長かった。今思えば、私は相変わらず父の背中を追い続けているのだなと。父は他界して既に20年が経ちました。

従業員と森本さん

1万人を超す従業員と森本社長

――府大生時代はどう過ごしていましたか?
私にとっては、これからどう生きて行きたいのか、どこに向かって突き進むのかを考える重要な4年間でした。日本の大学は、受験が終わればゴールインなどと言われます。他方、弁護士や会計士、更には大学院を目指し精魂勉強を重ねる人もいます。各個人の目的意識の違いや差が、学生時代にハッキリと出るのではないでしょうか。

私の場合、会計士などに興味を持てなかった。むしろ、二つのサークルの創設を通して、何か新しいことを始めるアクティブなビジネス意識の様なものが強く芽生えていました。父の様に世界を飛び回るグローバルビジネスマンを意識した時に、社会人の方々と接する場を持ち、彼らの所作や概念に接する機会を増やしていました。例えば、アルバイトするなら商社が立ち並ぶ大阪市内の喫茶店だとか。観察記録を書く感じでしたね。だから早く卒業してビジネス社会に一刻も早く飛び込みたかったし自分を試してみたい気持ちで一杯でした。

未来の府大生、現役の府大生には、勉強の重要性は当然ですが、今後人生で何をしたいのかをたっぷり考える大学時代にして欲しいですね。

――先輩として、社会人として、現役の府大生へコメントをください。
私の激しい極端な生き方が皆さんに合うとは限りませんが、そんな私の言葉を聞いて下さるのであれば、まずは10%のリーダーか90%のフォロワーのどちらに成りたいかを意識してみて欲しい。それだけで学生時代の在り方や過ごし方が変わると思います。

次に、仕事は生活を豊かにするタイプか、あるいは自己を実現するタイプなのかをある程度見極めてください。それだけで将来の方向感が何となくでも見えてきます。教養は勿論ですが、その為に必要な知識や学問、そして見聞を府大時代に大いに吸収すれば良いと思います。

そして今の20代を大いに右に左に振られながら思い切り生きてください。それをベースに30代をどう生きていくのかで自分の生き様がきっと見えてくるハズと期待しています。

それと、早めに自分の座右の銘を決めてみてください。但し条件があります。その座右の銘は、人生の中で一回だけ変更が許されます。座右の銘とは、自分の生き様のベンチマークであり心の中にある一本の柱と私は思っています。もし違っていれば変えれば良い、但し一回だけ。そんなことを考えて過ごすのも、きっと重要な学生時代になるはずです。後輩諸君、応援しています!

社長として執務中の森本さん

ヤマハ発動機主力の製造販売会社の社長として執務

――では最後に、森本さんの座右の銘は何ですか?
今しかない、此処しかない、自分しかない>。これが私の座右の銘です。

結局は、強い決意をしたら、先に伸ばさない、逃げない、誰かのせいにしない、やり遂げるのだ!というDeterminationなのです。あっ、やっぱり私は自分を追い込んでしまうタイプなのですね・・・(笑)

 

◆伊澤 悠平さんよりコメント
挑戦的な機会ながら心細いことも多い海外での暮らしですが、大学の先輩が、しかも自分の会社のボスが同窓生という事実ははまず驚きましたし、それ以上に心強くまた誇らしいものでした。海外で活躍される卒業生多しといえど、自社の上司が大統領から直に称賛されることは珍しいと思います。

さらに見渡せば、本社の上席執行役員である井上さんも府大工学部で航空工学を学んだ方とのことで、活躍される先輩方の姿に背筋が伸びる想いです。

せっかくの機会なので異文化に飛び込んで仕事をするにあたって役に立っている、府大時代に培ったワザを紹介します。それは、大阪人(特におばちゃん)のコミュニケーション技術。ちょっとだけ厚かましく主張すること、しっかり反応すること、そしてちょっと笑いを取りに行くこと。南大阪のちょっと田舎、いわゆるコテコテの街で過ごした日々のおかげか、同僚とは良い関係で仕事を進められています。

学生の皆さんも南大阪マインドと、大学生ならではの豊かな時間を遊びに学びに使って磨かれるバランスの取れた知性を武器にすれば世界への挑戦は、もう目の前ではないでしょうか。きっと世界のほうが放っておきません。そして、願わくは弊社のような若いうちから海外で挑戦できる環境へ飛び込んできてくれると嬉しいです!
なお私は少々遊び呆けすぎて往生したクチです。えらいことになる前に踏みとどまるのも重要ということを学びました。 Semoga sukses ya!(ご活躍をお祈りしております!)

井澤さんと森本さん
(写真左:森本さん、右:伊澤さん)

伊澤 悠平さん来歴:
2013年大阪府立大学工学部卒業。同年ヤマハ発動機株式会社に入社し、知的財産を扱う部門に配属され、2018年よりインドネシア開発拠点に駐在中。在学中より続ける自転車ライフをジャカルタでも満喫中。

 

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森本さん、伊澤さん、貴重な生の声を寄稿頂き、本当にありがとうございました!

 

【寄稿日:2019年8月26日】
【寄稿:森本 実(経済学部OB)、伊澤 悠平 (工学部OB)】※本文中の肩書等は寄稿当時