世界4大監査法人の1つ、デロイト トーマツ コンサルティング合同会社でシニアコンサルタントとして、地方創生案件や海外での途上国支援プロジェクトなどに携わる経済学部OGの原元由貴さん。

彼女を今のポジションへと突き動かしたきっかけは、中学生の頃に見た1枚の写真。そこから原元さんの人生の歯車は大きく動き出しました。

原元さんの写真①

そんな原元さんが勤務するデロイト トーマツ グループの本社にお邪魔し、本学工学研究科の川口泰輝さんと一緒にお話をうかがいました。

■原元由貴 プロフィール
2008年6月 ブリティッシュコロンビア(カナダ)の高校に留学、卒業
2013年3月 大阪府立大学 経済学部 経済学科 卒業
2016年3月 神戸大学大学院 国際協力研究科 博士課程前期課程(経済学) 修了
2016年3月 高麗大学(韓国) 国際大学院 博士課程前期課程(国際学開発協力専攻) 修了
2016年4月 デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 入社

(職歴・経験)
2015年1月-2月 JICAスーダン事務所 インターンシップ 職業訓練分野でのJOCVニーズ調査を実施
2014年5月-7月 JICA集団研修 学生コーディネーター
2014年1月-3月 アメリカノースカロライナのソフトウェア関連会社LEAD Technologiesでソフトウェア開発プロジェクトのアシスタントとして就労
2013年3月-9月 外務省「絆強化プロジェクト」に参加、アメリカで財政系NPOでのインターン
2011年8月-12月 岩手県特定非営利活動法人遠野まごころネットでの東日本大震災復興支援ボランティア・フィールドワーク

――現在、携わっている仕事について教えてください。

原元さんの写真②

経営コンサルティングサービスを担う「デロイト トーマツ コンサルティング合同会社」の、パブリックセクターという部門に所属しています。いわゆる経産省、内閣府など政府・公共サービスの課題解決を支援するコンサルティングユニットです。

私たちはその中の地方創生チームに所属し、地方自治体、行政法人などをクライアントに、地方を活性化することが目的です。でも私はちょっと変わっていて、地方創生チームにいながら、国際系の案件も担当しています。

今、3つ案件が進んでいて、2つが途上国支援の案件、1つが地方創生の案件です。途上国支援では、外務省管轄のJICA(ジャイカ・国際協力機構)のプロジェクトでモロッコとウガンダで行っています。

ウガンダはまだ本格的にスタートしていませんが、モロッコは3年目のプロジェクト。日本の中小企業が持つ高度冷蔵技術をモロッコに導入することで「コールドチェーン」(生鮮食品を低温に保つ物流方式)を確立しようというプロジェクトです。TICAD(ティカッド・アフリカ開発会議)のサイドイベントで紹介されるなど、国内外問わず注目されています。

地方創生の方は、北海道のある都市のイノベーション創出が目的で、昨日まで出張で行っていました。

――コンサルティングという業界を選んだ理由は?

ロジカルシンキング、仮説検証、情報の構造化など、どの世界に行っても通じる一般的に汎用性の高いスキルをギュッと短縮して学びたいと思い、コンサル業界を視野に入れました。私は途上国や国際開発などの社会課題に興味があってアンテナを張っていましたが、その中でも、デロイトはどこよりも早くそこに注力していたところに共感して、志望しました。

――仕事におけるやりがいをどんなところで感じますか?

一番はお客さんから「ありがとう」と言われたらすごくやりがいを感じますね。直近では、モロッコのプロジェクトで、モロッコ政府への支援業務を行っているのですが、その交渉を急にリードすることになりました。準備もしていない中で、なんとか2日間かけて対応し、落としどころを見つけてマネジメントできた時に、お客さんに「本当にいてくれてよかった。ありがとう」と言ってもらえました。

プロジェクトを知っているのも、お客さんの想いを汲み取れるのも私。こちらでリードしてミーティングマネジメントをするなど、自分のコンサルタントとしてのスキルに加えてお客さんとのリレーションを築くというのは、自分にしか発揮できないバリューだったのかなと自分なりに思い、そこを評価してもらえたのは良かったなと思いました。

――クライアントとの関係性で大切にされていることは?

“自分の当たり前はみんなの当たり前ではない”と常に思っています。自分ありき、自分中心に考えないようにしない。私はこう思っているから、みんなもそう思っているはず、と思い込んだまま仕事を進めない。

こうした方がいいと自分は思っているから、お客様にもそう言った方がいい、ではなくて、お客様はどう思っているのかなと、まず一歩引いて考えることを心がけています。

――学生時代から現職に至るまでの経歴、過程の中で、現在の原元さんを形成したと思われる、象徴的な出来事、経験などのエピソードがあれば教えてください。


2つあるんですけど、1つは私の根本ができた出来事。「ハゲワシと少女」(※)という写真を13歳、中学1年生の時に英語の教科書で見ました。それを見て衝撃を受けて「その子を助けないといけない!」とその時、直感で思いました。その時、国際協力に関わる仕事に就くと決めました。そこで私の根本ができました。そこから“いつまでに何をしておけばその仕事に就けるのかな”と逆算し、“まずは英語”と思い、中学を卒業してすぐカナダに留学しました。

でも英語を学ぶだけではこの仕事に就けないと思いました。なぜなら例えば国際協力や途上国開発を担う国連のような国際機関で働くには、マスター(修士号)も必要です。修士でどの学部が有利かなと考えると経済だなと思い、経済領域の中でも開発経済という学問があると逆算して考えていって、大学院まで進むということを高校の時に決めました。大学進学するならどの大学だろうかと調べていたら、府大にたどり着きました。

本当に写真を見て単純だったんで「行かな!」って(笑)。それまでは英語なんて全然話せなかった。その世界に行くためにはどういうスキルとか、どういうものがあれば、そこに行き着ける前提となるものを得られるか、ということを逆算してって感じですね。その中でコンサルという道も、後々ですが出てきました。

原元さんの写真③

もう1つが東日本大震災。府大時代、学生有志が集まったボランティア団体『OPU for 3.11』に入らせていただいたんですけど、その時も「行かなあかん!」と思い、先生にお願いして学校を休んで4、5ヶ月岩手に行きました。言葉にするのは難しいんですけど、行って良かったなと素直に思えます。

それがなかったら、出会っていない人もいたし、学んでいないこともあるし、もしかしたら今、自分はここにいなかっただろうと思います。それがきっかけというか、改めて自分の進むべき道について考えさせられた、私の人生を変えた出来事でした。

※「ハゲワシと少女」…南アフリカ共和国の報道写真家・ケビン・カーターが撮影した、ハゲワシが餓死寸前の少女を狙っている写真。この写真で彼はピューリッツァー賞を受賞した。

参考(ナショナルジオグラフィックWebサイトより):

――今後の目標や夢は?

国際協力という分野にはずっと関わりたいと思っています。関わっていく上で、個人的には3つの観点が見えるのかなと思っています。

まず1つはビジネスの世界。コンサルの世界で優れた技術やソリューションを持っている中小企業のコンサルをするというのは途上国貢献になりますし、ビジネスの世界でどういう貢献ができるのかな、というのを見たいのが1つ。

もう1つが、政策などを作っているUNや世界銀行といったルールを作っている上流のところで、国の仕組みづくりや国際社会のルールを見てみたい。

最後の1つは、現地の人たちと汗をかきながら走り回るような国際NGO等の現地での活動を見てみたい。やりたい事を実現できる世界に行きたいので、私の考えている3つのフィールドを見て、最終的に決めたいですね。

原元さんの写真④
――ここからは府大生時代について川口から伺います。府大での学生生活の思い出は?

東日本大震災でのボランティア活動です。私が3年生の時に東日本大震災が起こりました。震災があった3ヶ月後に初めてボランティアを派遣するということで、その前段階として、ボランティアバスを計画するかどうか検討するための学生を派遣するという企画があって、それに参加しました。

現地で活動した後に府大に戻り、ボランティアバスの重要性を報告会で学長たちにお話したところ、バスを出すことを決めていただき50人くらいの学生がそれに参加しました。私もそのバスで岩手に行きました。

ボランティア終了時、私だけそこに残って、後4ヶ月ボランティアをしました。それが一番の思い出ですね。現地での役割は、主にボランティアに来る人たちを管理する立場で、「ガレキ撤去に行く人、何人」とか「こういう資格を持っている人は仮設でのソフト支援の方に行ってもらえますか」など、短期ボランティアのマネジメントをしていました。

――なぜ、府大に入学したのですが?

高校3年間、カナダへ留学していました。当時、大学に進学するには帰国子女枠を使うことが唯一の方法なのですが、関西の大学そういった入試を設けている大学が少なかったです。そのなかで、経済学部に帰国子女枠があった大阪府立大学に決めました。

――府大に進学して良かったなと思うことは?

先生と職員の人との距離が近かったです。それはすごい良かったなと思います。いい意味で学生じゃない扱い方をしてくれていました。

あと学生のやりたいことを後押ししてくれる仕組みが整っていたことです。例えば、“チャレンジくん”という学生が新しい取り組みをしたいという時に大学から補助金を出してくれるという制度がありましたよね、そのような環境が整っていたことはよかったと思います。

私は活用する場面はなかったのですが、学生の時から申請書を書いたり、自分のやりたい事をまとめたり、といったスキルを伸ばしてくれるのもそうだし、簡単ではないですけど、チャレンジに対してお金を出してくれる大学ってありませんよね。学生に寄り添ってくれる大学だなと思いました。

――府大の経済で学んで、これは強かったなと思ったことは?

今は学域だとお聞きしているので、どのように変わっているかわかりませんが、私は経済学部 経済学科で勉強していましたが、経営のゼミや法律系のゼミも取れました。そこは選択肢があって良かったなと思います。

私は経済学科ですが経営のゼミに入って、そこで2年勉強したし、論文も経営で書いているから、幅広く勉強できる大学なのかなと思います。

原元さんと質問する学生の写真
――府大生や、府大に入りたいと思ってくれている受験生に、今のうちにこういう視点を磨いておいた方が良いと思うところはありますか?

“物事を俯瞰して見る・捉える力”というのは、学生である今もそうだし、社会人になってからも絶対に必要な力だから、それはあった方がいいかなと思います。物事を客観的に一歩引いて見ることで、自分の価値観にとらわれない色々な考え方・世界をとらえることができると思っています。

“俯瞰して見る”というのは、具体的にこうする、といったように方法を教えることができないので難しいとは思いますが、そう意識するだけでも今後の生活が変わってきます。それと価値観は人それぞれなので“相手を認める”という素直さもすごく大事だと思っています。

――カナダへの留学経験で学べたことは?

カナダのバンクーバーに、15歳から19歳までいました。最初はアメリカに行く予定だったんですけど、その時にテロがあってビザが取得できなかった。それでカナダを選んだところ、すごく安全な国でした。

英語を学べたのとともに、日本を改めて勉強する機会になりました。例えば普通のローカルの高校に通っていた時、第二次世界大戦についての授業で「ユキ、日本ではどうだったの?」と聞かれて「ちょっとわからんわ」ってその場では答えた後、家に帰ってすごく調べて次のクラスで「そういえば…」みたいな感じで発表したりしました。そういうことがすごく多かったので、改めて自分の生活している国について、勉強する機会がたくさんありました。

これから海外留学を考えている人がいるなら、日本の事をちょっと勉強していった方がいいかもしれません。コミュニケーションの幅がすごく広がると思いますよ。

――海外でインターンされていたお話をお聞かせください。

海外でのインターンは、府大を卒業して神戸大学大学院に入るまでの半年間と、大学院でのウガンダ・スーダンでの国際協力に関わるインターンと、2度ありました。

1度目のインターンのお話をすると、私はアメリカで東日本大震災に関わるインターンを行っていました。外務省で「絆プロジェクト」という青少年交流事業があり、それは日本の学生と海外、特にアメリカの学生を交流させて震災の事を伝えよう、というのが目的だったのですが、その中の1つで長期滞在のプランで参加しました。

マイアミ大学プレゼンテーション 米軍プレゼンテーション

ミッションは半年の間に英語を勉強しながら、アメリカ各地で震災の事をいろんな人に発信することです。資料作成、アポ取り、プレゼン・普及活動などを全て自分で行います。シカゴの大使館や米軍基地でプレゼンしたり、自分の住んでいた大学寮のホールを貸し切って、日本食を作ってふるまうようなイベントも企画しました。

原元さんの写真⑤

――「絆プロジェクト」に参加しようとしたきっかけは?

東日本大震災のボランティアをしていた時、現地のおじいちゃん、おばあちゃんから「忘れられるのが怖い」と聞いていたんです。「今は報道されているけど、たぶん、私たちのことは忘れていくよね。何よりも忘れられるのが怖い」と。

だからボランティアの人たちに対しても「忘れずに来てくれてありがとう」「こんな私たちの事を」みたいなことを言ってくださって。私たちからしたら行きたくて行ってるし、やりたくてやっているんですが、向こうからしたら「でもやっぱり忘れられるのが怖いです」って。

そんな言葉を覚えていたから、これはアメリカに行って言わないといかんなと。

その時も感謝の言葉もいっぱいもらったし、「外国の人が来てくれて、助けてもらいました」みたいなお話を現地でいっぱい聞いていたので海外の人たちに伝えなきゃと思いました。すごく良い経験でした。

――中学1年生の時に写真を見てから、進むべき道がピシッと決まって、それに向かって突き進んで行くそのパワーはどこから来てるのか。他にやりたい事はなかったんですか?

なかったですね。でも東日本の出来事はその道には全く関係なかったから、寄り道はしたかなって思っています。

でもそれがなかったら今の自分は絶対にないし、一本の軸があるからこそ、寄り道しても戻ってくるところがあったから、すごいそこは支えになったかなと思います。

“やりたいことがあるというのはすごいラッキー”だと思っていて、私は恵まれているなと思っています。どうやったら見つかるんですか?とかよく聞かれますが、それが全くわからない。直感やし。でも仕事も何でも一番楽しいのが大事かな。やりたいことがない、見つからないということは悪いことではないし、焦らなくてもいい、と個人的には思っています。

――社会人になる前にやっておいた方がいいことがあれば教えてください。

遊んでおいた方がいい(笑)。学生の時しかできない馬鹿な事とか、アホな事とかやりつくしたほうがいいと思います。社会人になったらもう無理やし。

私の場合は1年中遊んで、18歳の時からずーっとアホなことしかしてなかったから、楽しかったなと思っています。

――最後に府大生に向けてメッセージをお願いします。

府大は地域の人たちと、職員さんとの距離が近いと思います。例えば地域を巻き込んで何かするというのはすごくやりやすいと思うし、もし学生時代に何かこういう事をやってみたいと思うなら、誰かしらどこかしら汲み取って、先輩も周りも先生も形にできるところまではサポートしてくれるはずです。

ですのでそういう思いが、もしちょっとでもあるのなら、周りの人に聞けばいいと思うし、そういう思いを秘めているだけなのはもったいない環境だと思います。

やりたい事が見つかったらラッキー。そこの火を絶やさず、持っておいた方がいい。何かそれを一歩先に進めることができるきっかけがあったら、つかみに行った方がいいと思います。もし何かをあきらめる事が将来起こるかもしれないけど、それは次への糧になるから大丈夫。そこは俯瞰して見て、これが今後、どう影響を与えるのかを見て、考えることが大切です。

“自分の当たり前は、みんなの当たり前じゃない”

そこを大切に、ずっと思って私は仕事をしています。頑張ってください!

 

◆取材を終えて(川口)
原元さんと学生の記念写真
このたび、府大OGで現在はデロイト トーマツ コンサルティング合同会社でご活躍されている原元さんにインタビューさせていただきました。

今回お話を伺う中で、原元さんの強い信念と目標に向けて突き進む姿勢に触れ、とても刺激を受けました。

今回、特に印象深かったのは「絆プロジェクト」のお話でした。原元さんが「ハゲワシと少女」を見て使命感に駆られたように、被災地を目の当たりにして感じたことを海外で伝えた原元さんら「絆プロジェクト」のメンバーの活動が、まさに「ハゲワシと少女」のような存在になったのではと感じました。

【取材日:2019年7月18日】
【取材:工学研究科 航空宇宙海洋系専攻 川口泰輝】 ※所属は取材当時。