1980年に大阪府立大学経済学部を卒業し、同年、積水化学工業株式会社入社。現在は積水メディカル株式会社の社長を務めているOBの久保 肇さんにお話を伺いました。インタビュアーは、府大OB工学研究科卒の日野浦弘樹さんと松田景太さん。2人とも学生広報誌「ミチテイク」の編集チーム「MICHITRAKERs」のOBです。特に松田さんは積水メディカルの社員ということで、大先輩でもある社長を目の前にやや緊張の面持ち!?久保社長には府大生時代の思い出から、若い人たちに対して感じていること、そして府大生へのエールまで、たっぷり語っていただきました。
――大学受験当時の大阪府立大学の印象について教えてください。
僕の生まれは京都で、府大時代は深井に下宿していました。家賃は普通4、5万円だけど「学生やから1万でいい」と。間取りは平屋の8畳、3畳、台所、トイレ。風呂はありませんでした。当時の府大は、大人しくて真面目な校風。現在、府大生は就職担当者から人気の人材だと聞いたことがあるのですが「真面目に仕事をして、しっかりと成果を出す」。そんな校風が評価されているのだと思っています。2000年くらいの時、積水化学堺工場に3年くらい勤務した時、府大を見に行ったんですが「変わったな!」という印象を受けました。
――府大を受験した理由を教えてください。
家を出て、学費を払いながら生活して大学を卒業することで、経済的、精神的な自立を自分自身に促したかった。だから比較的、学費が安い公立大学を探し、府大を受験しました。当時の入学金は1万円、授業料が年間3万6千円でした。
――大学時代に一番印象に残っていることは何ですか。どういった学生生活を送っていましたか?
生活を安定させるまでは、スーパーの倉庫で荷物の出し入れや家庭教師のアルバイトをしていました。面白かったのは、経済学部の図書館でのアルバイト。当時、私が所属していた経営研究会から、図書館でお手伝いする学生を数名出していました。上の立場になるとアルバイトができるルールだったのですが、キャプテンとなった2年生から僕も手伝っていました。するとたまに、書籍の中のまとまったページをコピーして製本する、という仕事を先生から依頼されるんですが、そのコピーした部分を一生懸命読むんです。これが面白かった!そしてだいたい試験に出るんです。だからすごく成績は良かったです(笑)。
学業では当時、経済学部の中で今井先生という、会社法が専門の有名な先生がおられまして、会社法を学ぶゼミでした。そこが面白かったですね。学生生活といえば、映画研究会で自主映画を作っていました。脚本を書いたり、監督をしたり。同人誌に映画評を書いたこともあったよ。いつか映画を撮りたいと思っていました…そんな真面目に勉強したわけではないかな(苦笑)。
――積水化学に入社したきっかけをお聞かせください。
最初は関西本社のメーカーに入社希望でした。僕は京都生まれだし、若い頃どこに行くかということはいろいろあったとしても、将来的に例えば自分が偉くなって本社に戻って、最終ゴールはやっぱり関西を終の棲家にしたかった。その時はそう思っていました。
――そこで最初に決まった積水化学に入社したんですね。
就職活動は3日間しかしていない(笑)。僕、世間知らずだったから、当時、就職活動解禁日だった10月1日まで就職活動はしなくてもいいんやって思っていました。積水行ったのも10月2日。御堂筋歩いていて、友だちと「どこ行く?」「積水」「じゃあ俺も行こう」という会話で決まった。そこで、積水の担当者から話を聞いていたら「この会社、面白そうだ」と感じました。その時、気に入った言葉に「パイオニア精神」というのがあって、この会社ではいろんな事をチャレンジさせてくれるかなと、その時に思いました。
入社してすぐ会社の歴史を調べると、昭和40年当時に潰れかかっていたんです。そしてもう一度立て直ってきたくらいの時に私が入社した。「まだまだこれ、可能性あるんちゃうかな」と思い、頑張ってみようと決心しました。
――久保社長はずっと積水グループに在籍されていますよね。でも現在は、海外留学や、たくさん転職をしてキャリアを積むことが、学生や若い社会人の流行、風潮になっています。久保社長はずっと日本にいらっしゃったんですね。
私のような経歴は会社では珍しいです。最初は住宅の営業マン。次は人事部門、それで工場総務。人事労務も13年携わっていました。その他にもいろんな部門にいました。1つの部門への在籍は最大4年、短い時は1年。自分でいろんな事やりたいなと思う前に次から次へと与えられているから、別の会社に行くより、ここでいる方がよほど面白い。そう考えると恵まれています。
共通して言える事は「発展的な部門に行きなさい」と言われた事はなかった。異動先の部門が悪くなってきた時、そこに異動を命じられていました。例えば、過去に赤字の部門に私が異動して2年で100億円まで業績を上げたこともありました。だからどん底の部門を直すのは比較的得意です(笑)。
―― 一般的に最近の若い世代には、社会を変えたいと強く思うこともなく、大きな志がある訳でもなく、無難に失敗せずに過ごそうと考える人が多いです。一方で久保社長は失敗を恐れず、経営層として大胆な施策を講じて会社を、社会を良くしようとしているように感じました。「会社を変える、変えなければいけない」という心や想いは、いったいどこから湧いてくるのでしょうか。
僕の座右の銘は「変化・変革」。なんでもいいから変えよう、目的は今より良くすること。そういう意識を全体に伝えていく事が大事。今のままで良いと思った瞬間に全てがダメになります。
僕が積水メディカルの社長に就任したのは2019年1月。前部門のトップ時代も行っていたのですが、「社長室のドアを開けているから、何でもいいから気軽に話においで」という事を社員に伝えました。すると最初の1~2ヶ月は多くの社員がやって来た。「若手でこんな事起こっているんですけど、どのようにお考えですか?」とかね。話に来る社員は、所属部門や勤続年数が違うから視点も違う。だから、いろんなことを話してくれる(笑)。それが興味深かったし、会社について、社員について熟知するために大切だった。元来、この会社の文化はトップダウンが強くて、それを変えようと思ったのがきっかけ。「社長と直接話してもいいんだ」という文化をこの会社に作ろうと思いました。社員との直接対話の回数を増やしていくと、社員はどんどんいろんな事を言うようになったし、僕も彼らに対していろんな事をチャレンジさせてやろうと思いました。
――昨今のハラスメントに対する意識の変化から、幹部職の方々は部下への指導に委縮しているように感じています。しかしあまりに委縮して、リーダーシップを発揮してもらえないのも困ります。久保社長にとってリーダーシップのある上司とはどのような姿だとお考えでしょうか。
例えば、この組織のトップの采配とはどうあるべきなんだろうと考えることがあります。今、部下にとって何が必要なのか? 背中を押してやることなのか? 自分が先頭に立って引っ張ることなのか? どれなんだろうと思って、それに合わせて自分の振る舞いを考えることはあります。それと自分で「こいつだ」と思って任せる部下をたくさん作って、仕事の権限を委譲する。そうすると、組織も人も育ちます。
――積水化学グループに入社してくる新卒社員も他の大企業同様、優秀だと思いますが、実際に若手と接してみてどう感じていますか。ここ最近の若手について思う所はありますか。
最近、新入社員とか若い人を見ているとものすごく感じるのは「自分の範囲を何となく限定しているんじゃないの?」と思います。僕らの時は、もっと生意気やった(笑)。上が何を言おうが、自分で「ちゃいますよ!」と言う。私は本当に使いにくい部下だったと思いますよ。若い人たちには「自分をこぢんまりまとめるのはやめてくれへん?」と思います。お願いにも似ているかな。
「仕事って楽しい?」と若い社員によく質問するんです。仕事って生活のためだけだと、楽しくないよね。でもせっかく人生の長い時間を費やしているのに、それはつまらん。よく言うのは「つまらなかったら、面白い事を自分で作ったら?」ということ。それを若い人たちにはお願いをしています。
――最後に府大生にむけてメッセージをお願いします。
若い時には、いろんなチャンスがあるんだから、自分を限定せずにどんどんチャレンジして欲しい。多少生意気くらいでいいよ、と。府大生は基礎能力高いし、真面目な学生が多い。「ここまでやったら、やりすぎなんちゃうかな」と思ったとしても、そんなことないよ、と思う。「やりすぎくらいやっても大丈夫やで」と背中を押してあげれるなら、押してあげたいなぁ。
【取材日:2019年9月13日】※本文中の所属・肩書等は取材当時