中世の高度な技法により作られる、和歌山県で伝承されている根来寺根来塗(ねごろじねごろぬり)。その鮮やかな朱塗りの器は、堅牢で使い込むほどに味が出て美しくなると言われています。製法の26工程中19工程を下地作りに費やし、およそ3ヶ月もの製作期間を経て誕生する作品は“極上の普段づかい”として国内はもとより、外国でも高い評価を得ています。
誰もが到達できるわけではない厳しい根来寺根来塗作家の世界に足を踏み入れた、府大OGの松江那津子さん。一般企業に勤めていた松江さんが、なぜ安定した生活を捨ててまで、作家の道を志したのか? 背中を押した出来事とは? 一人前と言われるには10年間の修行が必要なところを3年で習得されたという松江さんに、本学工学研究科1年 川口泰輝さん(和歌山県出身)と一緒にお話をうかがいました。
――根来塗の世界に飛び込むことになったきっかけを教えてください。
松江 大学卒業後は一般企業に就職し、事務職に携わっていました。その頃から根来塗に興味があって、展覧会で作品を鑑賞したこともあったのですが、後の師匠である池ノ上曙山先生の作品との出会いが衝撃的でした。それまで自分が持っていた根来塗のイメージは、赤と黒のコントラストが特徴的だと感じていたのですが、先生の作品は“真っ赤”で、刷毛目がたっていたんです。“根来塗の最初の姿はこうだったんだ”ということに驚き、しかも美術品でありながら普段づかいもできて、使い込めば込むほど、美しくなる。根来塗とはそんな漆器なのだなと感動して、この道に入りました。
――プロとしてご活躍されるようになった経緯を教えてください。
松江 岩出市民俗資料館内の工房で開催している根来塗の市民講座に参加したのが始まりです。市民向け一般講座を1年学んだところで先生から「やってみないか」と声がかかり、上級講座に切り替えて受講を続けました。現在は岩出市に住んでいて、講師をしながら、展覧会に向けた作品づくりを行っています。
――生活が保証されている会社員という立場から、全く違う世界に飛び込んで不安はなかったのですか?
松江 不安はありましたね。こういう仕事ですから、お金が得られるか不透明なので…。企業で仕事をしていた頃は、ずっとこのままやっていくんだなと思っていましたので、先生の作品との出会いがよほど衝撃的だったのだと思います。
――仕事をする上で心掛けていることを教えてください。
松江 一工程一工程、丁寧にきっちりした仕事をすることです。我々の根来塗は中世の技法を継承して下地の技法が現代と違い、そこが根来寺根来塗の強さとして現れています。装飾がない分、下地づくりに力を入れています。根来塗は積み重ねなんです。
川口 自分で完璧に100点満点だと思えた作品を作り上げたことは?
松江 ないです、ないです(笑)。むしろ、私に作れるのかなと思いますね。曙山先生でも去年作った作品を今年になって見たら「なんでや?」と首をかしげる時もあるそうです。私なんか全然。思うようにはいきません。
川口 今後どういう作品を作りたいですか?
松江 一番身近な器は飯碗ですので、“これぞ”という飯碗が作りたいですね。長い間使うものですから「これで一生飯を食べるんや」と愛用してもらえるお椀を作りたいですね。
川口 もし、これぞという作品が完成した時、人に使ってもらいたいですか? それとも手元に置いておきたいですか?
松江 やはり使って欲しいですね。自分だけのものは、ただの自己満足。皆さんに受け入れられるものができればと思っています。自分の愛用品があるというのは、人生豊かだと思うんです。普段づかいで一生づかい、根来寺根来塗は使い込むと艶があがってくる。刷毛目が出てきて、凹凸の刷毛目が慣れてきてツルンとなって色も鮮やかになる。長い時間をかけて育っていく器なので、使い込んでいくと面白い器だと思います。過去に購入した器を展覧会に持ってきてくれるお客さんがいて、「僕の器、こんなに育ちました」と見せてくれたことがありました。根来塗は使っていく方が綺麗になるんです。
川口 会社を退職して根来塗の世界で、日々作品と向き合うなかで、技術の上達や成長は感じますか?
松江 小さなことですけど、感じます。根来塗は工程がたくさんありますので、覚える事柄が多いんですけど、工程ごとに難しさがあって、それぞれに面白い。追求のしがいがあります。
――学生時代と、社会人としての自分を比べて、考え方や変化などで気づいたことはありますか?
松江 勉強ができるのと、社会に出て役立つのとは全然別だなと感じました。例えば、段取り良く仕事に取り組む人はいますが、自分は結構マイペースな方なので、なかなか進めることができない。そこは勉強しているだけでは身につかないですね。
川口 今でも気づくことは多いですか?
松江 常にいちから勉強です。
――大阪府立大学に入学したきっかけを教えてください。
松江 私の生まれ故郷は、和歌山県の海沿いの町・海南市下津町で、港近くに実家があります。前は海、後ろは山という場所で育ったこともあり、自然が好きなんです。そこで自然環境を守るための勉強がしたくて、府大の農学部 地域環境科学科(現在の生命環境科学域 緑地環境科学類)に入学しました。大学では緑地保全を中心に、指導教官の中村彰宏先生に師事しました。
――学生の頃の、キャンパスでの思い出は?
松江 私が学生の頃は、府大はまだ中百舌鳥キャンパスだけの時代でした。今でも前を通ることがあるんですが、とてもきれいになっていますね。当時は農学部前の広場でよくフリスビーをやってましたよ(笑)
――どんな学生でしたか?
松江 真面目な学生とはいえないです(苦笑)。でも樹木実習は楽しかったですね。山でサンプル採集したりしていました。
――部活やサークルには入っていましたか?
松江 最初の1年は応援団に所属しましたが、あまりにも厳しかったので辞めました(笑)。その後、「環境部エコロ助」という環境サークルを友だちが立ち上げて、私も創立メンバーの1人でした。今もあるのかな?
川口 エコロ助! 今でもありますよ!
松江 創立メンバーは7人くらい。立ち上げのきっかけは「みんなで環境に良いことしようやー」という感じで始めたんだと思います。私たちの時は放置自転車のリサイクルや、生協にお願いして土にかえるトレイの導入を交渉したり、白鷺際で自転車発電のイベントを行ったり…みんなに環境意識を高めてもらおうと行っていました。でも自分たちが「いろいろ楽しみながらやりたいね」というのが一番でしたね。
――大阪府立大学に入学して良かったことは?
松江 友人、教員の方々など、いろんな人たちに出会えたことです。自分の視野が広がりました。同期にはたまに会います。みんな忙しくて話す時間はありませんが、展覧会に来てくれた友人からは「まさか、あなたがこの仕事に就いているとは思わなかった」と言われました(笑)。
――大学在学中に取り組んでおくべきことを教えてください。
松江 できれば、英会話は勉強した方が良いです。画廊で展覧会を開催すると、外国のお客様がいらっしゃるんですが、自分たちの取り組みを自分の言葉で伝えたくても、片言だと会話がままならない。そういう時に外国語を話せればと思うことがあります。学生生活は時間がたくさんあるので、時間がある時に勉強した方が良いですね。社会人になると日々に追われて、勉強したくてもできない。よほどの覚悟がないと時間の確保ができません。
――最後に、後輩や、大学をめざす高校生の皆さんにエールをお願いします。
松江 縁とは結構大切だと思います。私の場合は、根来塗に出会って、先生に出会った…こういうのも縁。そういった縁をつかむアンテナをビビビと尖らせて、いろんな可能性を視野に入れながら、これはと思った事については積極的に望む方向へと進んでいったらいいんじゃないかなと思います。
◆取材を終えて
今回、根来寺根来塗の塗師で、府大のOGでもある松江那津子さんにインタビューさせていただきました。曙山先生の作品を初めて見たときに、大きな衝撃を受けてその道に進もうと思ったという松江さんのお話を聞いて、私自身がキテレツ大百科というアニメに大きな影響を受けて工学の道を選んだという生い立ちに通ずるところがあり、とても共感しました。
塗師とエンジニアは全く異なるフィールドにいるようで、「ものづくり」という点において、「作り上げたものを誰かに使ってもらいたい」という思いは全く同じであるということを、今回の取材で感じることができました。
私も、この先松江さんのように、未知の分野へ踏み出すことを恐れずにチャレンジし続けようと思います。
【取材日:2018年8月8日】
【取材:工学研究科 航空宇宙海洋系専攻 川口泰輝】 ※所属は取材当時。