公募で選ばれた豊岡市副市長として2009年より活躍されている、本学工学部OBの真野 毅さん。
民間のメーカーで長く働き、民間企業の経営の仕組みや強みを行政組織に活かしたいという思いで未踏の地に飛び込んだご経歴を踏まえ、学生時代のこと、初めてのことに取り組むときに必要なことなど、学生が聞き手となりインタビューさせていただきました。
◆真野 毅(まの つよし)
豊岡市 副市長
大阪府立大学 工学部 化学工学科 卒業(1978年)
ワシントン州立大学 MBA取得(1987年)
明治大学大学院 ガバナンス研究科 卒業(2011年)
【職 歴】
1978年 京セラ入社 海外営業部配属
2003年 Kyocera Wireless Corp.社長(京セラ米国携帯電話部門)
2006年 京セラ 通信機器関連事業本部事業戦略部長
2008年 クアルコムジャパン 代表取締役社長
2009年9月 豊岡市副市長 就任
◆聞き手:
松下 裕司(大学院工学研究科 電子・数物系専攻 電子物理工学分野 博士前期課程2年)
村上 美詞(地域保健学域 教育福祉学類 4年)
穏やかな環境で、刺激的な日々を過ごした府大生時代
(広報担当者)府大ではどのような分野を研究されていましたでしょうか?また、当時の雰囲気などを教えてください。
(真野)化学工学分野を専攻し、オゾンや廃水処理関連の研究をしていました。
出身は香川の観音寺市で府大入学と同時に大阪に出てきましたので、中百舌鳥ののどかな風景は気に入っていましたね。
(広)学生時代の一番の思い出を教えてください。
(真)バレーボール部に入っており、3年までバレーに没頭していました。当時いろんな先輩方がおられましたが、航空工学科で1年先輩の稲谷芳文さんは特に厳しく、部活動を通じて鍛えていただきました。
稲谷さんは夢を実現され、現在JAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙科学研究所で活躍されています。そんな先輩方に指導いただいたことが、私にとって大きな力になっているのではないかと思っています。
また19才のとき、甲南中等部(現・甲南中学校)の生徒さんの家庭教師をしていました。そこのお父さんが大変に自分を買ってくださって、その生徒さんが初めての海外旅行に行くときにサポーターとして帯同、現地のYMCAのツアーに参加し、ロサンゼルス→ポートランド→カナダへの旅行をさせていただきました。
自分にとっても初めての海外で、キャンプ生活では食事を要求しないともらえないという経験をしました。何も言わないと食事はいらないと判断されるのです。米国ではちゃんと要求しないと相手には伝わらないことを学びました。このような文化の違いを体験することができ、非常に刺激を受けました。
急成長中の京セラにて、世界を感じ、戦い、そして学んだ日々
(広)工学部を卒業後、京セラに入社されたきっかけなどお聞かせください。
(真)専攻分野が化学工学でしたので当初は化学プラント関係の就職先を希望していましたが、卒業した年は第二次オイルショックの真っ只中。なかなか思うような就職先がありませんでした。
そんな中で、当時は大規模集積回路用セラミック多層パッケージや電子回路用セラミック積層技術などの半導体向けの新技術を開発して非常に勢いのあった京セラに惹かれ、縁をいただき入社しました。
(村上)入社されてから、印象に残っている仕事やエピソードをお聞かせください。
(真)最初の配属先は幸か不幸か海外営業部でした。鳴った電話を取ると聞こえてくる言葉が英語だったり、最初のうちは受話器を取るのも怖かったですね。言葉も文化も違う中、セールスの最前線と工場をつなぐ仕事ということもあって非常に難しかったですが、とても良い経験になりました。また海外のコミュニケーションは日本とはまったく違うことも経験しました。
また、当時はまだ創業者の稲盛社長が若手の同期会にも来てくれました。我々若手も血気盛んな時期でしたので、同期の一人が「この会社は目の前のことを考えている上司ばかりで戦略がないのではないか」と質問したら、「ばかやろう!その目の前のことをやってくれているたくさんの先輩があって、いまお前たちが飯を食えているんだ!」とご指導をいただきました。すべてはバランスであり役割があるという意味で、今でも非常に印象に残っています。
京セラでは、「人間として何が正しいのか」ということを議論できる風土があり、多くのことを教えていただきました。
故郷や地方の衰退を憂う思いから、行政の世界へ
(村)社会人キャリアの途中でワシントン州立大学へ留学しMBAを取得されましたが、その経緯やエピソードを教えてください。
(真)最初に配属された部署が海外営業部だったということもありますし、工学部出身の私には、ビジネスをきっちり勉強しておきたいという思いがありました。当時の上司の理解もあって、2年間ワシントン州立大学へ留学することができました。
ビジネスという畑違いの分野を英語で勉強するのは本当に大変でしたが、留学先での学友たちにも大きく支えられて乗り切ることができました。アジア人の連帯感というものを強く感じた留学生活でしたね。
(村)自分の出身地ではない豊岡市の副市長に就任された経緯などを教えてください。
(真)京セラを辞め、知人との縁からクアルコム・ジャパンの社長を務めた後、故郷の観音寺市や他の地方の町にだんだん元気が無くなっていることを感じていたので、衰退していく地方に対して自分なりに何か出来たらなあと考えていました。
民間企業で培ってきた経営感覚や組織づくりのあり方を、地方の課題解決にも活かしたい。「NPOで活動できないか」と思い、いろいろと勉強していた時に、たまたま豊岡市の公募と出会い、応募したところ合格したのが経緯です。
(村)豊岡市副市長として特に注力したことを教えてください。
(真)就任が内定したとき、主なミッションは「行革」だと考えていましたが、始めてみたらもっと大切なことがあることがわかりました。高度成長の下、行政は市民の要望に応えて、多くの仕事を担うようになりました。行政が要望に応えるほど行政まかせの市民が育ってしまい、みんなで社会を支えるという考えが希薄になってきます。
これから少子高齢化、人口減少の時代に入り、市民がいかに政策に参加してくれるか、いかに行政が地域や市民と協働できるかがとても大切です。それを先頭に立ってやり、組織の体質の中にそういったガバナンスの考え方をいかに根付かせるか。そういったことに特に注力しています。
民間企業と行政の文化の違いなどももちろんありますし、意識改革をしよう・させようと思ってもなかなか難しい。協働することで市民を理解する、地域を理解することを促していくことが重要だと考えています。
若い世代はともかくトライ、やってみることが大事。
(松下)私たち学生は、社会人からみればいつの局面も経験不足です。新たな仕事に挑戦されてきたご経験などを踏まえ、これからの場面で私たちがどう対処していけばいいか教えてください。
(真)京セラの時に叩き込まれたことのひとつに、仕事の結果というのは「能力×熱意×考え方」の積算だという考え方があります。たとえ「能力」に不足・不安があっても、みんなや社会のためになるという芯のある「考え方」がしっかりあり、「熱意」を持ってその思いを周りに語り、みんなで協力してトライすれば必ず道は開けてきます。考えすぎてもいけません。まずはトライすること、やってみることが大事なのです。そのプロセスの中で、能力はついてくるのです。
(松)私は0から1を生み出せる、そのような人材になりたいと考えています。そのために必要な素養は何だとお考えでしょうか?
(真)シュンペーター(ヨーゼフ・シュンペーター、経済学者)など多くの学者も言っているように、新しいアイデアというのは何もないところから生みだされることもありますが、多くのイノベーションは今までのアイデアを組み合わせることで生まれてくるのです。
繰り返しになりますが「自分の目的は何か」をしっかりと考えて、まずは自分がやってみたい事にトライして実行する、多様な意見を聞いて、色々なアイデアにアンテナを立ててキャッチし、そして組み合わせる。それが大事だし、そういうやり方でもいいのではと思っています。
(松)最後に、大阪府立大学の学生にエールをお願いします!
(真)この社会は、まだまだ解決できないことがたくさんありますが、新しいことに挑戦することがやはり大切。解決できない問いに対して仮説を立てる、やってみる、そして多様な人材の価値観を受け入れ、意見を聞いて仮説も補正し、合意に持っていく力が重要です。
そのためにはテキストブックだけでは駄目で、ゼミで議論したり、研究で悩みつつ仮説を検証してみたり、社会活動に参加するなど、実務の中で学べるものがたくさんあります。
また学生時代は自由です。社会人になると様々な背景がやっぱりあり、多少はそれを気にして発言しないといけない。ところが学生時代はそんなしがらみはありません。ポジションを気にする必要もないし、色んな人の意見を聞いて、色んなことを感じて、自分の思いを堂々と言葉にしていけば良いと思います。
そんな気持ちで、ぜひ頑張ってください!
―取材を終えて―
<松下 裕司(工学研究科 博士前期課程 2年)>
お話を伺い、真野副市長の「とにかくやってみる」という精神が印象に残りました。世の中に存在する課題、その解決のために仮説→検証→仮説の補正→再検証→…を繰り返すしかない。僕は普段大学で研究をしていますが、そのプロセスと同じなんだと改めて気付かされました。現場を意識しつつビジョンからは外れない、そのようなことができる人になりたいと思います。
<村上 美詞(地域保健学域 教育福祉学類 4年)>
真野副市長のお話を伺い、すでに今私がもっているものの有難さに気が付きました。 私の学生生活は残りわずかですが、学生という丸腰を「武器」に、「熱意のままにやってみること、その中でたくさんの人から多様なアイデアをいただいて修正をかけていくこと」を実践していきたく思います。
【取材:松下 裕司(工学研究科 博士前期課程2年)、村上 美詞(地域保健学域 教育福祉学類 4年)、皆藤 昌利・仲田 くるみ(広報課)】※所属等は取材当時
【取材日:2016年11月14日】
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OG訪問!豊岡市 国際交流員 ノロ・ランドリアさん
http://michitake.osakafu-u.ac.jp/2017/01/11/noro/