「やりたいことをやらないと後悔する。少し無茶なことでも、まずチャレンジしたい」が持論の、フランスからの元・留学生ノロさん。以前から望んでいた「JETプログラム参加による日本での活躍」という夢を見事につかみました。
そんなノロさんの行動力を育てたのが、大阪府立大学で学んだ半年間だといいます。現在の職場である豊岡市役所を訪問しました。
フランスのセルジー・ポントワーズ大学からの交換留学生として、2015年4月から9月までの半年間、府立大の現代システム科学域マネジメント学類で学ぶ。留学終了後も日本にとどまり、大阪市内のホテル勤務を経て、2016年7月からは「JETプログラム(外国青年招致事業)」の枠内で、兵庫県豊岡市の国際交流員(CIR)として活躍中。
◆聞き手:
松下 裕司(大学院工学研究科 電子・数物系専攻 電子物理工学分野 博士前期課程2年)
村上 美詞(地域保健学域 教育福祉学類 4年)
「I-wingなかもず」で各国からの留学生と交流できた思い出
(広報担当者)留学先に日本を選んだ理由を教えてください。
(ノロ)府立大へ来る前は、パリ郊外にあるセルジー・ポントワーズ大学で、日本語と英語を中心に法律や経済、コミュニケーション等を学んでいました。中学時代から語学が大好きで、日本語の能力をどんどん高めてみたくなり、そのうち日本で学ぶのが一番だと考え、留学にチャレンジしました。
(広)府立大ではどんな分野を学びましたか?
(ノロ)フランスでの専攻分野との整合性が必要だったので、それまでと同様に言語をメインに学べるカリキュラムを選択。英語や日本語による留学生専用の講義を中心にしながら、コミュニケーションや歴史も学びました。
(広)半年間の留学経験は、楽しかったですか?
(ノロ)とっても楽しかったですよ。オープンしたばかりの国際交流会館「I-wingなかもず」で暮らせたお陰でもあります。元々、ひとりでいることが好きなタイプでしたので、共同生活に慣れるか不安でしたが、I-wingのルームメイトはフレンドリーな人ばかり。フランスや中国から来た彼らと文字通り寝食を共にするうちに、深く理解しあい、何かあれば支えあえる友になりました。他のI-wingの留学生仲間たちとも、仲良くパーティを楽しむなど、充実した日々を過ごせました。
(松下)日本にはすぐに馴染めましたか?
(ノロ)留学以前にも、観光やインターンシップで3回来日していて、日本の習慣やカルチャーをある程度は理解できていたお陰で、あまり苦労はしませんでした。もちろん、最初の来日では、少なからず失敗もしましたよ。駅ホームの乗車待ちの列を理解できずに割り込んでしまうなど、恥ずかしい思い出もあります。
日本の学生はおとなしすぎると感じた場面も
(松下)留学中の不安はどうやって克服しましたか?
(ノロ)先述のように、日本にはそれなりに馴染んでいたため、留学自体への不安はそう感じませんでした。不安だったのは、ちゃんと卒業できるかどうか(笑)。地方自治体が外務省等の協力の下で実施する「JETプログラム」(外国青年招致事業)への参加による日本での国際交流貢献を大学入学前から望んでいましたが、大学卒業資格を得られなければ「JETプログラム」への参加条件を満たせない。だから、留学中は必死に勉強しました。
(松下)そこまで日本がお好きだなんて光栄です。日本の文化や習慣などで驚いたことはありますか?
(ノロ)一番驚いたのは治安のよさです。スカートをはいた若い女性が深夜の街を不安なく歩けるなんて、フランス人には別世界のようです。信じられないでしょうが、母国の学生時代、スカート姿で大学に通うなど考えられませんでした。
(松下)「外の視点」から見てこそ分かる、日本のありがたさですね。日本の学生に接してみて感じたことはありますか?
(ノロ)時に、日本の学生はおとなしすぎます。ある文章を議論する授業があるとして、フランスの学生たちなら競って意見を発するでしょう。ところが日本では、先生に質問されても誰も答えようとしない。そんな姿には違和感がありました。
(村上)日本人の多くはシャイですし、人目が気になり、「周囲と同じことをする方が楽」と考える意識も根強いですからね。
(ノロ)どこの国でも高校生くらいまでは、周囲の目が気になるものです。みんなと同じことをする方がたしかに楽ですが、本当にやりたいことがあれば、周囲に笑われようと、勇気を持ってトライしてみなくては、後で後悔しますよ。友達も大事だけど、自分の人生は自分のものだから、友達を失うことを恐れず、自分の夢をまっすぐ追い求めたいですよね。
豊岡の魅力を世界へ発信する充実した毎日
(村上)そうですよね。信じた夢を追っていれば、必ず新しい友達にも出会えます。留学期間終了後も帰国せず、日本で働くことを即断したノロさんの「夢を信じる力」は、私たちに大切なことを教えてくれます。
(ノロ)1年間の滞在ビザを取っていたので、半年間の留学が終わっても、すぐ帰国するのはもったいない。日本で仕事を探そうと考え、妹の留学先の福岡にある企業数社へ履歴書を送りました。
しかし、府立大で学ぶ日々を通して関西への愛着心も育ち、「やっぱり関西圏で働きたい」との気持ちが高まりながらも時間は過ぎていき、気がつけば帰国予定日の2週間前。「この2週間に関西で勤務先が決まらなかったら帰国しよう」と覚悟を決め、空港やホテル数社へ履歴書を送ったところ、あるホテルからすぐにご返事を頂戴できたのです。そのホテルで働き始めたのは、帰国予定日の3日前のことでした。帰国予定日直前だったので、フランスの両親は呆れたようですが、「あなたが選んだ道ならば精一杯やりなさい」とのエールを贈ってもらえました。
(村上)そのホテルに勤めたノロさんが、豊岡市の国際交流員に就任されたのは、なぜですか?
(ノロ)先述のように、当初から「JETプログラム」への参加を望んでいたからです。JET参加者は「外国語指導助手」「国際交流員」「スポーツ国際交流員」の3職種で地域の国際化推進をお手伝いしますが、私は地方公共団体の国際交流担当部局等に配属される国際交流員のお仕事に強く惹かれて、第一希望の任地である豊岡市を射止めました。豊岡は、奈良や京都などの勤務候補地の中では馴染みが薄い街で、だからこそ、フレッシュな気持ちで働けるように思えました。
(村上)豊岡の魅力や、国際交流員のお仕事を教えてください。
(ノロ)城崎温泉や出石の美しい城下町などの観光リソースに恵まれ、「最後の野生コウノトリの生息地」としても知られる豊岡には、国際交流員になって初めて訪れた私も、すっかり魅了されています。国際交流員の主な役割は城崎温泉等での外国人ビジターのアテンドのほか、この街の魅力を世界へ発信する「橋渡し」も担い、先日も英国やドイツ、そして母国フランスへ渡って、豊岡のアピールに努めました。まさか、こんなに早く仕事で帰国できるとは。ヨーロッパで城崎温泉が私の想像以上に有名だったことにも驚かされました。国際交流員は1年ごとの契約ですが、私の場合、2021年7月まで延長可能。豊岡が大好きになったので、できるだけ長く続けたいですね。
府立大での数々の出会いが人生の財産になった
(松下)府立大の在学生や、これから入学する人へ伝えたいことはありますか?
(ノロ)府立大での半年間に、色々な国からの留学生と深く交流できたことは、人生の財産になりました。素顔の私はとってもシャイで人見知り。大学時代は友人も少なかったですね。そんな私を変えてくれたのがI-wingでの数々の出会い。自分でも驚くほど積極的にふるまえるようになり、お陰でいまの私がいます。皆さんも、もし留学されるなら、普段の自分にはできないことにもチャレンジしてください。必ず、いい出来事や出会いにつながります。
(村上)最後に、日本の学生や若者へのメッセージをお願いします。
(ノロ)日本人への意識調査で「若い頃にもっとこんなことをしておけば」と後悔している人が多いと聞いたことがありますが、それは一番避けてほしいと私は思います。「やればよかった」と後悔しないよう、少し無茶なことにでもトライしたい。やりたいと信じたことであれば、失敗しても次につながります。「夢が見つからない」と悩む若者も多いようですが、「大きな夢」を描くことにあまりとらわれずに、まずは「小さな夢」を見つけて、それに向かって一歩ずつ歩んで欲しいですね。
ノロさんの豊岡市内案内編はこちらから
http://michitake.osakafu-u.ac.jp/2017/01/30/20161115_toyooka/
―取材を終えて―
<松下 裕司(工学研究科 博士前期課程 2年)>
お話を伺っている中で、ノロさんは何度も「後悔はしたくない」とおっしゃっていました。僕も何度か挫折を経験してきたので、それにすごく共感します。毎日が挑戦で、刺激的で楽しいとノロさんのように言えるよう、僕も様々なことにチャレンジしていきたいです。
<村上 美詞(地域保健学域 教育福祉学類 4年)>
ノロさんが夢をぐんぐん掴んでいく過程がとても印象的でした。やりたいことを「やりたかったこと」にしてしまわないために、「今できる・すぐそこの夢」を躊躇なくクリアしていきたいと思います。ノロさんのきらきらした表情を思い出すにつけ、行動する限り夢は目減りしないのだと確信を持つことができるようになりました。
【取材:松下 裕司(工学研究科 博士前期課程2年)、村上 美詞(地域保健学域 教育福祉学類 4年)、皆藤 昌利・仲田 くるみ(広報課)】※所属等は取材当時
【取材日:2016年11月14日】
同じ豊岡市役所で働く府大OB、真野副市長のインタビューはこちらから!
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OB訪問! 豊岡市 副市長 真野 毅さん
http://michitake.osakafu-u.ac.jp/2016/12/27/tsuyoshi_mano/