バイオサイエンス・バイオテクノロジー分野で活躍できる人を育てる生命環境科学域。4学類のひとつ応用生命科学類では、多様な生命現象を解明し、社会に役立てるための基礎力と応用力を身につけられます。

生化学、有機化学、微生物学などケミカル、バイオロジーの2領域にまたがる“知”を融合させて、生命現象や生命機能を探求する応用生命科学類。ここで学べること、研究者の道に進んだ場合に挑めるテーマを知っていただくため、生物有機化学分野・ケミカルバイオロジー分野の研究にいそしむ甲斐 建次講師の研究内容をご紹介します。

【プロフィール】
甲斐 建次(かい けんじ) 応用生命系 講師
担当学域等:生命環境科学域・生命科学研究科
研究分野:生物有機化学 ケミカルバイオロジー
所属学会:日本農芸化学会 日本農薬学会 日本植物病理学会 バイオインダストリー協会

―バイオサイエンスの道を選ばれた“想い”を教えてください。

少年時代から化学実験が好きだったこと、顕微鏡を買ってもらってから生き物に興味をもったことが高じて、大学進学前には化学・生物両分野への好奇心でいっぱいでした。特に生命現象に深く関わるフェロモン等の化学物質への興味が強く、応用生命科学類の前身にあたる府立大農学部応用生物化学科(当時)を選択。そこでの学びから、微生物のような生き物が複雑な化合物をつくりだす不思議さにさらに惹かれ、大学院で「カビの二次代謝物から有用な物質をつくる研究」に取り組みました。その後、生命現象を操る微量な物質を探求したくなったので、そのための設備を備える京都大学大学院へ移り、植物の成長を促すオーキシンという植物ホルモンの研究で博士号を取得しました。
有機化学の手法で生命現象の“不思議”を解き明かす生物有機化学は、私のように生物と化学の2分野に興味を持つ皆さんにはぜひお薦めしたい分野です。

―先生が取り組んでいる研究テーマを教えてください。

最も注力するのが、一部の真性細菌が持つ「クオラムセンシング機構」に関する研究です。細菌にとって宿主(寄生または共生する対象)の大半は自分たちよりも高等なので、その複雑な防御機構を破って寄生するには“一致団結”が必要です。クオラムセンシングは仲間の生息密度を感知したり、毒素として機能する物質の生成に関わる仕組みで、「仲間が増えたタイミングで攻撃を始める」という“巧妙な感染戦略”の合図を細菌間に伝えていきます。

植物ホルモンを研究した際、それが様々な生命現象を制御する化合物である点にとても惹かれました。「微生物の世界にもこんな働きをする物質はないか。」そんな視点でリサーチするなかでクオラムセンシングと出会い、研究者魂を刺激されました。

―青枯病菌のクオラムセンシング機構に関する研究は、公益社団法人 日本農芸化学会から農芸化学奨励賞を受けられるなど、先生の代表的な業績になっていますね。

ナス、トマト、ジャガイモ等のナス科植物を中心に200種以上の植物に感染し、枯死させる青枯病。それらの農作物を食糧源とする国々に深刻な被害を与えていますが、有効な対抗策はまだ見つかっていません。
青枯病菌の感染過程でもクオラムセンシング機構が働きますが、宿主への攻撃開始を合図する「シグナル分子」がどんなものであるかは未解明でした。それを解き明かせれば、青枯病から農作物を守れるかも知れない。そんな想いがこのテーマへと私を駆り立てましたし、青枯病菌のクオラムセンシング機構の解明が世界的に進んでいなかったことにも、研究者の本能のようなものに火をつけられました。

気がつけば、この研究に挑んではや10年間です。第1ステップは青枯病菌のシグナル分子の特定。独自に確立したバイオアッセイ法(生物材料を使って生物学的応答を分析する手法)によって、目指すシグナル分子の特定に成功するまでに5年ほどを要しました。生命現象を対象にするバイオ分野の研究には、粘り強さが必要なのです。
次いでそのシグナル分子がどう生成されるかを探り、さらに菌にどのように受容されてクオラムセンシング機構が活性化されるかを解明する手順で研究を進めてきた結果、2017年に「青枯病防止に役立つ薬剤」にたどり着けました。

―それが「クオラムクエンチング剤」と命名されたものですね。

青枯病菌を殺すのでなく、クオラムセンシング機構を妨げることで、毒素となる物質の生成を停める薬剤です。青枯病菌の生合成酵素を欠損させ、シグナルのやり取りをできなくさせて、その菌から得られた情報に基づく化学物質を合成しました。この物質こそが、宿主攻撃の指令伝達を妨げてクオラムセンシング機構を停める青枯病防止剤として機能するに違いない…。
その仮説を検証するために化学構造が異なる5種のクエンチング(抑制)剤をつくり、さらにそれを異なる濃度に調整して、数株のトマトの木に処理。青枯病菌入りの培養液に浸してそのトマトを10日間水耕栽培してみると、どの化学構造のどの濃度のクエンチング剤でも、それを処理されたトマトは青枯病に感染しませんでした。

この成功を「実用化」につなげるには、ある程度の広さの圃場(ほじょう)でクエンチング剤処理したトマトの生育過程を見守る“実証栽培”が必要なので、それにも取り組んでいくつもりです。青枯病の脅威から世界中の農業生産者を解放できる日はそう遠くないと信じます。クオラムセンシングという生理現象に着眼し、そのメカニズムに化学的手法で切り込むことで感染病を防ぐ。これまで試みられなかったこんなアプローチが有効であることを証明できた点に、私の研究の意義があると考えます。

―先生が所属される生理活性物質化学研究グループは、他にどんな研究をしていますか?

青枯病菌と同じクオラムセンシング機構を持ちながらも、オジギソウの生育に“善の作用”をもたらす細菌があり、その共生メカニズムを興味深く探っています。さらに興味深く感じるのが、カビとバクテリアの相互作用に関わるクオラムセンシング機構。過酷な環境に耐えるためカビに寄生するバクテリアがいるのですが、微生物同士の生存を賭けた攻防に好奇心が刺激されます。

「おもしろい」から始められるのがバイオサイエンスの魅力ですね。生物と化学に興味がある人にとって、本学の応用生命科学類で学ぶ日々はさらに興味深い現象、心惹かれるテーマと出会えるきっかけになることでしょう。
ちなみに、青枯病のクオラムセンシング機構を研究する研究者は世界的に少なくありませんが、シグナル分子の特定などの結果を出せた点で私は先を走っていると自負します。化合物を通じて生命現象を解き明かす手法において一日の長があるのでしょう。そう考えると、多様な学問領域が垣根なく融合しやすい府立大の環境が、私の研究を育ててくれたようにも思えます。私の在学時代から変わらない「のびのびと学べて、のびやかに研究できる環境」がとても気に入っています。

―最後に、研究者として大切にされている姿勢を教えてください。

壁にぶつかって先へ進めないことが研究には付きものです。そんな際に大切なのがポジティブな思考。失敗が続いても悲観せず、「私なら必ずここから先へ進める」と素直に思える楽観思考ですね。皆さんも学生や研究者になったら、「うまくいかない点」ではなく「うまくいっている点」にこそ目を向けてください。前途は必ず開けます。

【取材日:2017年11月28日】 ※所属等は取材当時